読書

2012年12月29日 (土)

『山行』 / 槇 有恒 著

ジャケットの槇有恒の写真にすっかり魅せられてしまった。今から100年ほど前、ヨーロッパ・アルプスかどこかに登山中、座って休憩している槇有恒。それは、古き良き時代の日本人アルピニストの姿だ。

P1260650

槇有恒(まき ゆうこう)の山岳記『山行』(中公文庫)を読んだ。格調高い文体で綴られた山岳賛歌に大きな共感を覚え、とてもおもしろかった。

槇有恒は、大正時代、近代アルピニズムを日本にもたらした登山家で、まさに日本近代アルピニストのパイオニアだ。

僕は以前、NHKテレビで放送された「グレート・サミッツ」で、1921年、アイガー東山稜(ミッテルレギ稜)からの世界初登攀を果たした人物として槇有恒が紹介され、彼のことは知っていた。

今回、『山行』を読んで、彼の業績や人となりを知り、槇有恒という人物が実に偉大な人物であったかということがよくわかった。

アイガー・ミッテルレギ稜初登攀の記録「登高記」は、80年以上も前に書かれたものとは思えないくらい生き生きと描かれ、ワクワクしながら読んだ。アルプスのふもと、イタリアとスイスの風土や人々の生活を描いた旅行記は、槇有恒の観察眼の鋭さが圧巻だ。そして、冬の立山登山で遭難し、同行の友人を亡くした顛末を綴った「板倉勝宣君の死」は、胸に迫り来るものがある。

槇有恒の名著『山行』、山を愛し、登山が好きな人たちに、是非とも読んでもらいたい一冊だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月19日 (水)

『100年の難問はなぜ解けたのか』 / 春日 真人 著

春日真人著の数学ノンフィクション『100年の難問はなぜ解けたのか』(新潮文庫)を読んだ。

P1240582

僕はもともと数学は大の苦手なんだけど、以前に読んだ数学ノンフィクション『フェルマーの最終定理』が非常におもしろかったので、同じく数学ノンフィクションということで、今回、『100年の難問はなぜ解けたのか』を読んでみたところ、これがまたとてもおもしろかった。

100年の難問とは、「ポアンカレ予想」というもので、僕は今まで聞いたこともなくて、今回、初めて知った。

ポアンカレ予想とは、「単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相である」と記述される数学上の命題で、1904年、フランス人数学者アンリ・ポアンカレが世に問うて以来、1世紀にわたり多くの数学者が証明しようと挑戦したが、退け続けた超難問ということだ。

「単連結な…」って言われても、うぅーん、何のことだかわからない。「ロープをかけたとき必ず回収できる四次元空間の表面は、四次元球の表面と同じである」と読み替えることができるって言われても、まだ理解できない。

さらに噛み砕いて言えば、ポアンカレ予想とは、宇宙の形を解き明かす命題だそうで、「宇宙にロープを一周させて、その輪が回収できれば宇宙は丸いと言える」ということを言っているらしいが、まだこれだって難しくて理解できない。

が、しかし、この『100年の難問はなぜ解けたのか』を読む上で、ポアンカレ予想を正しく理解する必要はない。この『100年の…』は、ポアンカレ予想の解説書ではなければ、ポアンカレ予想の内容を述べたものでもない。

100年の難問を、ひとりのロシア人数学者ペレリマン博士が証明したこと。ペレリマン博士は、この難問を解くために、7年にも及ぶ長い時間、社会との関わりを拒絶し、研究に没頭したこと。そして、難問を解いた後、ペレリマン博士は数学界のノーベル賞とも言われるフィールズ賞の受賞を拒否したばかりか、世間からまったく姿を消してしまったこと。『100年の…』では、そうした天才数学者の光と影が描かれているのだ。

そもそも数学とは何なのか?数学者とは何を求め、何をめざしているのか?なぜ数学者は生涯をかけてまでも難問の証明に挑もうとするのか?そういった問いかけが描かれているのだ。そして、その問いかけに対する答えを探し求めているのだ。それは数学観とも言えるものだろうか。数学観を僕たち素人に提示しようとする試み、そこがこの『100年の…』のおもしろさなのだ。

ムツカシイ数学理論がわからなくても、この数学観というものは、僕たちズブの素人にでも何となくわかる。それを味わうのが数学ノンフィクションを読む醍醐味だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月15日 (土)

『強力伝・孤島』 / 新田次郎 著

新田次郎の初期短編小説集『強力伝・孤島』を読んだ。新田次郎といえば山岳小説と思うところだけど、初期の短編小説では、山岳ものだけでなく、気象観測もの、民話もの、冒険ものと意外なバラエティに富んでいるが、どれも新田次郎らしさが感じられる好作品ぞろいでおもしろかった。

P1240054

「八甲田山」は、明治35年の日本陸軍による八甲田山雪中行軍の悲劇を描いたもので、後に新田次郎は「八甲田山死の彷徨」という長編小説を書くことになるが、この初期の短編においても、僕たち読者をグイグイと引き込んでいく描写力に圧倒される。

「孤島」は、南海の孤島鳥島の測候所で気象観測の業務に携わる男たちの姿を描いた短編で、気象観測員だった新田次郎の真骨頂とも言えるような作品だ。孤島を舞台に繰り広げられる人間と厳しい自然との闘い、人間同士の葛藤やぶつかり合いの描写が実にすばらしい。

そして、この短編集の中で僕がもっともおもしろく感じたのは「強力伝」だ。新田次郎の処女作品で、直木賞を受賞している。

明治、大正、昭和初期の時代に、山の上に荷物を担ぎ上げる強力(ごうりき)たち。「強力伝」では、昭和16年、白馬山頂に風景指示盤を設置するため、命を賭して50貫(約187キロ)もの巨岩を山頂まで担ぎ上げた強力を描いたものだ。

確かに、白馬山に登ったとき、山頂には大きな岩の標示盤があったが、あれがこの物語で描かれた岩だったんだと思うと、とても感慨深いものがあった。

↓強力が命を賭して担ぎ上げた白馬山頂の風景指示盤

P1110457

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 7日 (金)

『深夜特急 6 南ヨーロッパ・ロンドン』 / 沢木耕太郎 著

沢木耕太郎の『深夜特急』第6巻を読了し、長かった『深夜特急』の旅がとうとう終わってしまった。

P1240604

『深夜特急』を読み始めて2週間余り、おもしろくておもしろくて、読みはじめると止まらなくなってしまう毎日だった。

日本からイギリスのロンドンまで、乗り合いバスを乗り継いでユーラシア大陸を横断するという、沢木さんの1年2ヶ月に及ぶ放浪の旅に同行させてもらっているかのように刺激的で楽しい読書体験だった。

第6巻では、ギリシャからイタリアに入り、ローマの休日を満喫した後、フランス経由でそのままロンドンに向かうかと思いきや、イタリアからフランスを通り、イベリア半島のスペイン、ポルトガルへと向かうことに。

果たしてこの放浪の旅はどのようにしてエンディングを迎えるのだろうと思いながら読み進めていくと、ポルトガルの西の端、すなわちユーラシア大陸の西の端にある名もない小さな街にある岬から眺めた海を見て、沢木さんは旅を終わりにしようと決める。

「ふと、私はここに来るために長い旅を続けてきたのではないだろうか、と思った。いくつもの偶然が私をここに連れてきてくれた。その偶然を神などという言葉で置き換える必要はない。それは、風であり、水であり、光であり、そう、バスなのだ。私は乗合いバスに揺られてここまで来た。乗合いバスがここまで連れてきてくれたのだ…」

なんと感動的で美しい言葉だろうか。この言葉を読むために、僕たちは長い『深夜特急』を読み進めてきたのに違いない。

そして、ポルトガルの端で旅の終わりを決めた沢木さんは、パリを経由してついにロンドンに至る。

しかし、この紀行文のエンディングは、日本への帰国の途につくのではなく、ロンドンの旅行代理店でアイスランド行きのチケットの有無を尋ねるところで終わる。長かった放浪の旅のエンディングを飾るにふさわしく、余韻を残す、実に素晴らしいエンディングだ。

『深夜特急』、いつの日か、ヨーロッパ行きの飛行機内ででも再読しようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 4日 (火)

『深夜特急 5 トルコ・ギリシャ・地中海』 / 沢木耕太郎 著

沢木耕太郎の『深夜特急』第5巻を読んだ。

P1240601

第5巻では、いよいよアジアからヨーロッパに入り、トルコ、ギリシャを経て、地中海に至る旅が描かれる。

ヨーロッパに入ると、これまでの東南アジア諸国やインドなどとはかなり旅の様相が異なり、刺激的な旅から落ち着いた旅へと変化していく。

とはいえ、それは放浪の旅。僕たち普通の読者からすれば充分に刺激的な旅であることには違いはなく、読んでいるとワクワクと胸踊りおもしろい。

と同時に、沢木氏自身がここに来て旅の終わりを意識し始める。そして、紀行の内容もこれまでとは変わり、ずいぶんと内省的になってくる。そんな変化を味わうことができるのも、この紀行文を読むおもしろさでもある。

長かった『深夜特急』の旅もいよいよ最終巻。目的地であるロンドンへと向かう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年12月 1日 (土)

『深夜特急 4 シルクロード』 / 沢木耕太郎 著

沢木耕太郎の『深夜特急』、第4巻「シルクロード」を読破。

P1240598

ここから、いよいよこの旅の本来の目的であるインドのデリーからイギリスのロンドンへ向け、乗り合いバスでの旅が始まる。第4巻では、インドのデリーからパキスタン、アフガニスタンを通り、イランに入るまでのシルクロードの旅が描かれる。

アジアを抜け、ヨーロッパへ向けてユーラシア大陸の横断が進んでいくにつれ、僕たちアジア人からすれば、どんどん異国情緒があふれてくるようになって、紀行文としてはますますおもしろくなってくる。

その一方で、この時点で沢木氏の放浪の旅は半年を過ぎ、一年に迫ろうかとしており、さすがに心身ともに疲れが色濃く出てくる。それに伴い、沢木氏の言動にもささくれ立ったものが表れてくるようになる。

そういうところまで包み隠さず素直に描いているとことが、この『深夜特急』のリアリティが感じられるおもしろさだと思う。

そして、心身ともに疲れを感じながらも、同時に沢木氏は、旅を続ける中で様々な呪縛から自らを解放し、自由を感じ取っていく。それがまた読んでいて実に心地いい。

深夜特急の旅、第5巻ではいよいよヨーロッパに入ていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月28日 (水)

『深夜特急 3 インド・ネパール』 / 沢木耕太郎 著

沢木耕太郎の『深夜特急』、第3巻を読破。

P1240595

第3巻では、1970年代のヒッピー文化真っ只中で、まさにヒッピーの聖地とも言われていたインド・ネパールの旅が描かれる。

猥雑で喧騒に満ちたインドにおいて、ディープな体験をしていくわけだが、読んでいて非常におもしろい。そして、貧困の中で生きている神の子たちの姿や、日常生活の中に漂っている死の匂いに関する描写には、深く心を揺さぶられる。

こういうところが沢木紀行文の真骨頂じゃないかと僕は思う。

ところで、この紀行文のタイトル『深夜特急』=『ミッドナイト・エクスプレス』とは、沢木氏の説明するところによると、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの間での隠語ということだ。脱獄することを、「ミッドナイト・エクスプレスに乗る」と言ったとのことだ。「脱獄」というところに、沢木氏がこの旅の真意を重ねたのではないかと思う。

その深夜特急、4巻ではシルクロードへと向かう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月26日 (月)

『深夜特急 2 マレー半島・シンガポール』 / 沢木耕太郎 著

沢木耕太郎の『深夜特急2』を読んだ。

P1240591

日本からインドのデリーへ渡り、デリーから乗り合いバスを乗り継いでイギリスのロンドンへと向かう放浪の旅。この第2巻は、タイからマレー半島を南下し、シンガポールに至るまでが描かれている。

沢木耕太郎氏の放浪の旅もこの時点で1ヶ月を越え、いろんな経験を経て、だいぶんこなれて来た感じだ。訪問し滞在する先々で、彼の地の生活に入り込み、現地の人々と深く関わろうとする姿勢は一貫しているが、そこで繰り広げられる出来事は実に刺激的でおもしろい。

タイのバンコクは以前、僕も旅行したことがあって、バンコクの街中をひとりで歩き回ったので、紀行を読んでいるとそのときの情景がイキイキと蘇ってきた。

そして、シンガポールのホテルでひとり沢木氏は内省的にこの放浪の旅に出た理由を考え、ひとつの結論にたどり着く。「多分、私は回避したかったのだ。決定的な局面に立たされ、選択することで、何かが固定してしまうことを恐れたのだ。逃げた、と言ってもいい。」

大学卒業後、就職した会社を1日で辞め、その後、フリーライターとなりやっと軌道に乗りかけたときに、すべてを放り出して放浪の旅に出た26歳の沢木耕太郎。僕にはこの心情も痛いほどよくわかる気がする。

深夜特急の旅は第3巻でインドへと続いていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月22日 (木)

『深夜特急 1 香港・マカオ』 / 沢木耕太郎 著

沢木耕太郎の『深夜特急 1 香港・マカオ』(新潮文庫)を読んだ。

P1240588

『深夜特急』は、著者の沢木耕太郎が1970年代の半ば、26歳のときに、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスで行こうと思い立ち、一年以上をかけてユーラシア大陸を放浪の旅したときの紀行文で、文庫本にして全6冊、日本を代表する紀行文の大作で、僕も以前からずっと読んでみたいと思っていた。

その1では、航空機で日本からインドへ向かう途中、ストップオーバーで立ち寄った香港とマカオが舞台で、いわば放浪の旅のスタートが描かれていて、日本を旅立ち、異国の地に降り立ったときのワクワクドキドキ感が鮮明に伝わってくる。

特に、香港の街の喧騒と人々の熱気や、マカオのカジノで賭博にのめり込んでいくシーンは圧巻だ。

それにしても、日本において海外旅行がようやく一般的なものになり始めた時期である1970年代半ばに、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスを乗り継いで旅するなんて、よくもまあ思い切ったものだ。しかも、期間も予定もまったく決めないままに。

そのバイタリティ、アクティブさには驚嘆するしかないが、そんな放浪旅だからこそ、紀行文を読む我々も、日常に縛られない自由さが感じられ、何ともいえない心地よさを感じることができるのだと思う。もちろん、著者である沢木耕太郎の筆力によるところも大きいことは間違いないけれど。

深夜特急の旅は2へと続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月18日 (日)

『ハンニバル』 / 長谷川博隆 著

長谷川博隆著 『ハンニバル』(講談社学術文庫)を読んだ。

P1200256

紀元前3世紀、大国ローマを相手に地中海世界の覇権をかけて戦ったカルタゴの勇将ハンニバルの生涯を描いた歴史書で、世界戦史上指折りの戦略家として、アレクサンダー大王、カエサル、ナポレオンなどと並び称されるハンニバルという人物を知ることができ、とてもおもしろかった。

ところで、著者が最初に書いているように、ハンニバルという人物、カルタゴという国家は、我々日本人にとっては遠く感じられる。日本とのつながりはほとんどないように思われる。

この『ハンニバル』が刊行された1973年当時、日本語で書かれたハンニバル伝は一冊もなかったそうで、そういう状況下で刊行された本書の意義は大きかったと思う。

今日の僕たちは、塩野七生さんによる名著『ローマ人の物語』のなかで、『ハンニバル戦記』(文庫本では③~⑤)という素晴らしいハンニバル伝を読むことができる。

僕もこの『ハンニバル戦記』を読んで、ローマ側から見たハンニバルという人物に魅せられたのだけれど、今回、『ハンニバル』を読んで、カルタゴ側から見たハンニバルにも同様に惹きつけられた。

もっとも塩野さんの流麗な歴史物語、歴史絵巻ともいえる『ハンニバル戦記』を前にすれば、長谷川さんの『ハンニバル』はいかにも学術書的な朴訥さを感じずにはいられなかった。

それでも、日本人が日本語でカルタゴ側から描いたハンニバル伝として、本書の意義は今もなお失われていないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧