ブダペスト

2010年2月16日 (火)

『ハプスブルク三都物語』/河野純一

河野純一著の『ハプスブルク三都物語 ウィーン、プラハ、ブダペスト』(中公新書)を読んだ。

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ウィーン、プラハ、ブダペストといえば、2007年の夏、僕が7泊9日のひとり旅で訪れた街であり、外国の街の中でも僕のお気に入りの街なので、書店で新刊本として目にした瞬間、即買いしたのだけど、期待どおりにとてもおもしろく読むことができた。

僕の海外旅行のスタイルは、旅行の計画、交通や宿泊の手配、コンサート・チケットの予約や購入、現地での移動や観光、食事など、すべてを自分でやり、現地の移動は基本的に歩きか公共交通機関だけを利用する(タクシーや観光バスは利用しない)がモットーなので、旅行に行くに際しては、現地の様々な情報を最大限に入手し、観光地の情報はもとより、その国やその場所の歴史や文化などを徹底的に調べるようにしている。そうしないと、現地での対応ができないし、観光も楽しめないからだ。

なので、ウィーン、プラハ、ブダペストに関する知識や情報は相当詰め込んでいるつもりだったけれど、今回、『ハプスブルク三都物語』を読むと、僕が知っていることの追認や復習もたくさんあるものの、僕が知らなかったことや、新たに認識したことも非常にたくさんあり、大きな収穫があった。

著者の河野純一さんは、横浜市立大学の教授で、ドイツ語、ドイツ文学の研究者として、ウィーンに2年間住んでいたときの経験をもとに、本書を書かれている。そのため、僕のような単なる観光者としての知識ではなく、生活者、研究者として、より深く、多角的にウィーンを理解されている。

本書ではまず、1278年から1918年まで640年にもわたってヨーロッパに君臨したハプスブルク帝国の首都としてのウィーン、そして帝国内の重要な都市であったプラハ、ブダペストの歴史を概観し、帝国崩壊後も含めた三都の建築、音楽や絵画といった芸術、カフェやワイン、シュニッツェルといった生活や食文化に至るまで、詳細に紹介している。

ハプスブルク帝国の重要な都市として、歴史と文化を育んできたウィーン、プラハ、ブダペストという街は、中欧の歴史を共有し、相互の関連の中で発展してきたが、共通性とともに、それぞれが独自性も有し、オリジナルな魅力にあふれた街であることを再認識させてもらった。

本書のあとがきには、ウィーンのエッセイストの次のような文章が紹介されている。「多くの都市はアスファルトで舗装されているが、ここは文化で舗装されているのだ」。ウィーンだけでなく、プラハやブダペストの魅力を雄弁に語る言葉だと僕は思う。

<擦り切れた石の舗装に歴史と文化を感じるプラハの街>

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いつかまた、ウィーン、プラハ、ブダペストを訪れたいと思う。

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2007年7月29日 (日)

中欧旅行記<ブダペスト2日目>

7月17日(火) 天気 はれ

今回の旅行もいよいよ今日で観光最終日、明日はもう帰国の途に着かなければならない。6時起床、ぐっすり眠ったのでだいぶん疲れはとれたものの旅の疲れがどんどん蓄積してきているのを感じる。歩く足取りも何となく重い。しかし、今日で最後と思うとそんなことも言ってられない。もう一度体力を振り絞って最後の一日を満喫しよう。

朝食を食べに行く。やはりコールド・ビュッフェだけど、パンやウィンナーの種類が多くておいしい。サラダも何種類かあって久しぶりに野菜を食べる。とにかくたくさん食べてお腹いっぱいになる。昨日は気付かなかったけど、朝食を食べていると日本人客も数名いた。

朝食を終えるとホテルのフロントで明日の空港までのエアポート・ミニバスを予約してもらう。帰り支度の始まりにちょっと寂しい気持ちになる。フロントの公衆電話から日本の職場に電話をしてみる。旅行中、長い休暇を取っていたが、その間もし何か急ぎの用事があればいつでも携帯電話に連絡をしてもらうようにしていたのだけど、携帯電話がバッテリー切れで連絡できなくなっているので念のため。すると日本では新潟で大震災が起きていることを知る。なんだか少し暗い気分になる。

昨日行けなかった近所のスーパーへ行き、たくさんのミネラル・ウォーターとヨーグルト、それからお土産用にハンガリーの名物料理「グヤーシュ」の缶詰を買う。グヤーシュはパプリカをたくさん使い牛肉や野菜を煮込んだスープだ。日本ではスープは「飲む」ものだけど、ドイツやハンガリーではスープは「食べる」ものなのだ。

部屋に戻り日本から持ってきた水着をリュックに詰める。8時30分、ホテル発。昨日と同じ駅のチケット売り場へ行き一日乗車券を買う。英語が通じないだろうと思い、昨日のチケットを見せながら買ったので今日はうまく買えた。昨日と同じトラムに乗り、同じく自由橋のたもとで降りる。残念ながら自由橋はちょうど改修工事中のため、その美しい姿を見ることはできない。

橋を渡り、ドナウ川のブダ側へ。橋を渡ってすぐのところにアール・ヌーボー様式の美しいホテル「ゲッレールト」がある。ホテル・ゲッレールトはその中にある「ゲッレールト温泉」で有名だ。ハンガリーは国土全体から温泉が湧き出している温泉王国だ。ブダペストにも32箇所もの温泉浴場がある。ハンガリーの人々にとっては温泉や温水プールは日常生活の一部分となっているのだ。日本人と同じように温泉が大好きな国民なのだ。そういえばハンガリーの全人口1,009万人のうち約90%を占める民族がマジャール人で、その祖先はアジアの遊牧民だ。そのためハンガリーは「いちばん西にあるアジア」とも言われている。ハンガリー人の風貌はどう見てもアジア系とは思えないが、僕たち日本人と同様、赤ん坊には蒙古斑が見られるなどアジア・モンゴル系民族の特長を有しているそうだ。そんな遺伝子が彼らの温泉好きにつながっているのかもしれない。温泉大好き人間の僕としては、やはりハンガリーへ来たからには温泉にも入らねばならぬ。そう思い、日本から水着を用意してきたのだ。

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古色蒼然とした入り口からホテルへ入る。平日の朝、早い時間のためかお客は誰もいない。すぐ温泉のチケット窓口があるが料金表がハンガリー語表記なのでよくわからない。窓口のおばさんに温泉に入りたいと言うと、料金は3,100フォリント(約2,100円)だった。日本の温泉に比べると何とも高い。チケットを持って先へ進むと係員の男性が機械にチケットを通しながら、ロッカーのある場所を教えてくれる。教えられたロッカーへ行くと今度は別のおじさんがいて、手招きで僕を呼んでいる。その方向へ進むと、ここだとひとつのロッカーを指差す。ロッカーは一応、ひとつひとつ区切られて個室みたいになってはいるものの、布のカーテンで区切られただけの簡単なものだ。その個室のなかに簡易なベットと鍵のかかる木製のロッカーがある。水着に着替えて荷物をロッカーに入れ、その個室から出ると、おじさんがやって来て木製ロッカーの鍵をかける。ただし、そのロッカーの鍵は僕に渡されるのではなく、おじさんが持って管理する。僕にはその個室の番号が書かれた小さなプレートが渡されただけだ。後でわかったのだけど、わざわざそんな面倒くさいシステムをとっているのはお客のチップを稼ぐためとのこと。そんなことを知らない僕はもちろんおじさんに1フォリントもチップを渡さなかった。

温泉内は撮影禁止のため写真はないけれど、ホテルの入り口からイメージしたとおりずいぶんと古い感じの温泉だ。壁にはタイルが張られ、天上がすりガラス張りになっていていい感じで日光が入ってくる。水着を着て男女混浴。大きな風呂が左右にふたつあり、温度が32℃と36℃と表示されている。入っている人は地元の人たちだけのようで、60歳も超えたような男女が10名ほど32℃の方にずっとつかって話をしたり、読書をしている人もいる。体を洗う場所はなく、単に湯船につかるだけのようだ。湯船を出た奥にスチーム・サウナと水風呂がある。僕も両方の湯船に入ってみるが、日本の温泉から考えるとどちらも温度が少々低い。まあその分、長い時間ゆったりと入っていることはできる。泉質はあまり温泉の感じはしないが、かすかに硫黄のにおいがする。水着を着用しているせいか、温泉というようよりは温水プールに入っているような気がする。実際、36℃の湯船は誰も入っていないのでちょっと泳いでみた。それにしても、ハンガリーまで来て温泉に入るとは!日本の温泉とは風情がまったく異なるけれどおもしろい体験だった。1時間ほどで温泉を出る。ホテルのロビーから出るときに係りの男性にチケットを渡し、機械を通してもらう。そのまま出ようとしたらその男性に呼び止められる。どうやらデポジット制で払っていた料金の一部(400フォリント)が返金になったらしい。

温泉を出るとすぐ隣にあるゲッレールトの丘に登る。ゲッレールトの丘は王宮の南に広がる丘陵で標高は235メートル。丘の頂上は市内が一望できる展望台やハプスブルク家が造った要塞、そして巨大な銅像が立っている。ゲッレールトの丘へはいくつもの登り道があるようだけど、ゲッレールトホテルのすぐ横側からの道を登って行く。けっこう急な坂道が続く。湯上りということもあってとっても暑い。あっという間に汗びっしょりだ。ところどころにベンチが置いてあるので何度も休んだり水を飲んだりしながらやっと頂上に到着。歩いて登っている人はほとんどいなかったのだけど、頂上には団体客などけっこうな人出だ。みんなバスで頂上まで上がってきているのだ。しかし、頂上からのドナウ川の眺めは苦労して登ってきた甲斐があるものだった。暑さや疲れも忘れさせてくれるぐらい素晴らしい眺望だ。やはりブダペストといえばドナウ川だし、ドナウ川の景色は本当に絵になる。風に吹かれながらしばらくドナウ川を眺め続ける。このあたりでデジタルカメラのバッテリー残量があとひと目盛りになり、あと何枚撮影できるのか気になり始める。せいぜいあと20枚か30枚だろう。これからは1枚1枚を心して撮影せねば。

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ゲッレールトの丘を下り、自由橋のたもとにある中央市場へ行く。中央市場は1890年に建てられたブダペスト最大の常設市場で、日常品や食料品、ワインやフォアグラ、パプリカなどハンガリーの特産品が販売されている。ブダペスト市民や観光客でたいへん賑わっている。1時間ほどぶらぶらと見て歩き、みやげものを買う。フォアグラとPICKのサラミ、有名なトカイ・ワインを買った。

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いったんホテルに戻る。水着やみやげものを出し、しばらく休んで午後1時30分に再びホテルを出発。地下鉄3号線に乗って街の中心部へ向かう。ブダペストの地下鉄はとても古い。特に2号線はロンドンの地下鉄に次いで世界で2番目にできた古いもので、地下鉄の入り口もとてもレトロな感じだ。驚いたことは地下鉄の浅さで、2号線は階段をわずか20数段ほど降りたところがホームになっている。デアーク・フェレンツ・テール駅で降りて、そこから歴史的建造物が立ち並ぶアンドラーシ通りを市民広場まで歩く。アンドラーシ通りはブダペストのシャンゼリゼとも言われる賑やかな通りだ。まず、聖イシュトバーン大聖堂からスタート。聖イシュトバーン大聖堂は、ハンガリー建国1000年を記念して50年の歳月をかけ1905年に完成したブダペスト最大の聖堂で、ネオルネッサンス様式の堂々とした姿がとても美しい。巨大な内部はとても荘厳な雰囲気に満ちといて、初代国王イシュトバーンの右手のミイラが安置されていた。続いて国立オペラ座。ネオルネッサンス様式の壮麗な建物だ。ガイドツアーがあるが時間が合わなかったので外観を眺めるだけ。オペラ座から次へ進みかけたところでとうとうデジタルカメラのバッテリーが切れてしまった。最後に撮った1枚は、ずいぶん旧式の自動車と古い街角の写真。

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今回の旅行に行くに際して、デジタルカメラの予備用バッテリーを1個購入した。僕が持っているのはもともとバッテリーのもちの良さがウリのデジタルカメラなので、バッテリー・フル充電で約400枚は写真撮影が可能だ。バッテリーが2個なので合計800枚は写真が撮れる計算だ。ウィーンにいるときから800枚という数字を頭に入れて写真を撮影してはいたものの、やはり美しい風景やきれいな街並みを目の前にするとついシャッターを押してしまい、なかなか計算どおりにはいかないものだ。そしてとうとうバッテリーが切れてしまった。撮影した写真は合計900枚以上に及んだ。せっかくハンガリーまで来て、写真が撮れないというのは残念でならないけれど仕方がない。ここから先は、後で写真を見て思い出すなんてこともできない。自分が見て感じた景色を心の中に焼付けなければならない。デジタルカメラをリュックの奥に仕舞い込む。

リスト記念博物館へ行く。案内標識もなく場所がわかりにくい。やっとたどり着くと入り口のドアが閉まっている。ドアを押してみると簡単に開いたので建物の中へ入る。すぐのところに窓口があり、おじいさんが座っている。僕が「すみません」と言うと、上階を指差しながら「4階へ」とだけ言う。誰もいない階段を4階まで上るとやはり誰もいない部屋があり、入ってみるとちょうど展示品の入れ替えか何かをやっている途中みたいでいろんなものが乱雑に置かれている。その中にはリストが愛用していたピアノもある。誰もいないので何が何だかわからないまま外へ出た。

リスト広場でちょっと休む。ブダペストはとにかく暑い。天気予報では今日の最高気温は35℃、しかし湿度が50%と驚くほど低いため、汗をかいても日陰でちょっと休むとすぐに乾いてしまう。日本のように蒸し暑さはなく、カラッとした暑さなので過ごしやすいといえば過ごしやすい。しかし湿度が低い分、とにかく喉が渇く。そのためいつも水を飲む。1.5リットルのペットボトルくらいはすぐに飲み切ってしまう。そういえば、僕が日本に帰った次の週にはハンガリーは気温が40℃を越え、死者も出ているとの報道がされていた。

水を飲んだり、座って休んだりしながら歩き続け、午後4時30分に目的地の市民広場へ到着。疲れきって足が棒のようになっている。最後の体力を振り絞って英雄広場を見て歩く。ハンガリー歴代の王の銅像が立ち並びとても雄大な眺めだ。その後、すぐ隣の国立西洋美術館へ。巨大なその美術館はエル・グレコなどスペイン絵画のコレクションが非常に充実しているが、あまりにも広くたくさんありすぎて残念ながら全部は見られない。しかも入って1時間もしないうちに閉館になってしまった。

帰りはさすがに疲れてもう歩けないので地下鉄2号線に乗って街の中心部へ戻る。ヴァーツィ通りを歩いたり、カフェでコーヒーを飲みながらしばらく時間をつぶす。そのうち、午後8時を過ぎる。ブダペストの観光も、ということは今回の旅行も、いよいよフィナーレを迎えようとしている。ブダペストの観光の最後に決めていたのはドナウ川クルーズ。しかも、暗くなり夜景が見えるようになってからのクルーズと決めていたのだ。午後8時30分発のクルーズに乗る。1時間コース、食事やワインなどは付いていないシンプルなコースを選ぶ。中欧の長い夕方も8時半を過ぎるとさすがにちょっと暗くなってくる。遊覧船はくさり橋の下を通り抜け、国会議事堂を横目に見ながらドナウ川をさかのぼる。暗くなりかけたブダペストの街にともり始めた灯りが美しい。その灯りがドナウ川の川面に浮かび上がる姿はとても幻想的でまた美しい。20分ほどで折り返し、今度はドナウ川を下っていく。9時前になり空はかなり暗くなり、くさり橋にも灯りがともる。そして見上げるとライトアップされた王宮が見える。ドナウ川沿いの建物の灯りがドナウ川に揺れる。ドナウ川の夜景は本当に美しい。写真撮影しない分、そうした美しい夜景がより鮮明に僕の心に焼き付いている。やがて1時間のコースが終わり、遊覧船は元の場所へと戻る。ブダペストの最後を飾るにふさわしい本当に素晴らしいナイト・クルーズだった。

船を降りてライトアップされた王宮や灯りのともったくさり橋をもう一度眺める。まわりはもうすっかり暗くなり、灯りがひときわ美しさを増している。本当に本当に素晴らしい眺望だ。いつまでも眺めていたいと思う。と同時に、「もうこれで充分だ」「もうこれで終わりだ」という気持ちも静かに湧き上がってくる。「よし、帰ろう」、そう口に出して言うと、最後にもう一度だけドナウ川の夜景を眺め、駅の方向へ歩きながらブダペストにさよならを言った。

午後10時前、ホテル着。今日は本当に疲れた。気がつけば、今回の旅行で今日がいちばん多く歩いていた。明日はいよいよ帰国の途。風呂に入り、荷造りをし、午前1時に眠った。

<本日の歩数:35,149歩>

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2007年7月28日 (土)

中欧旅行記<ブダペスト1日目>

7月16日(月) 天気 はれ

6時30分起床、朝食を食べて荷造りをし、8時にホテルをチェックアウト。地下鉄B号線に乗ってナームニェスチー・リパブリキ駅で降り、共和国広場近くのミニバス乗り場へ向かう。空港行きのミニバスは30分ごとに出発、8時30分発の便に乗る。石畳の道路を高速で走るミニバスはとてもじゃないけど乗り心地がいいとはいえない。9時、ルズィニェ空港着。

チェコ航空にチェックイン、出国手続きを済ませ、残ったチェコ・コルナをハンガリー・フォリントに両替する。ロビーの椅子に座って1時間ほど待つ。ブタペスト行きの飛行機はさすがにジェット機で、乗客は30人ほどしかいない。日本人は僕だけだ。ルズィニェ空港12時発、フライト中に陸地の風景を見てやろうと思い窓側の席を希望したのに、フライトが始まるとすっかり爆睡してしまう。1時間ほどのフライトでブダペストに到着する直前になってようやく目が覚める。窓からドナウ川の流れやブダペストの街並みが見える。

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午後1時、フェリヘジ空港着。ハンガリーの入国審査もなかなか入念で、渡航暦のスタンプをひとつひとつチェックしていた。両替をし、ロビーにある公衆電話から日本の自宅に電話を入れる。昨夜から携帯電話のバッテリーが切れてしまったため、連絡が取れない状況になっている。フェリヘジ空港から市内への移動方法は地下鉄や電車はなく、エアポート・ミニバスか市バス、あるいはタクシーしかない。迷わずエアポート・ミニバスで移動することにし、到着ロビーにあるエアポート・ミニバスのカウンターへ。ホテルの名前を告げ、往復チケットを購入(3,900フォリント=2,700円)、カウンター近くの椅子に座って待っているように言われ、しばらく待っていると運転手が現れ、いくつかのホテル名を告げる。ホテル名が呼ばれたので運転手について行く。エアポート・ミニバスは空港からブダペスト市内のホテルまで運んでくれるのだ。8人乗りのミニバスに6人が乗り空港を出発。

20分ほどでホテル「Mercure Duna(メルキュール・デュナ)」に到着。このホテルでミニバスを降りるのは僕だけだった。チェックインして部屋に入る。ちょっとせまいけど清潔感があり明るい。そして風呂にちゃんとバスタブがあることが何よりもうれしい。荷物を解いてしばらく休み、午後3時にホテルを出発。

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ミニバスでホテルの前まで運んでくれたことはうれしいのだけど、自力で来たのではないためホテルの位置関係がよくわからない。そのため、まずホテル周辺を散策して位置関係を頭に入れる。ドナウ川沿いで近くにトラムや電車の駅もある。またスーパーもすぐ近くにあって便利そうだ。電車の駅へ行って1日乗車券を買おうとするが、窓口のおばさんには英語がまったく通じない。手でバツを示しながらハンガリー語で何やら言っている。僕が困った表情をしていると何種類かのチケットを出してきて僕に見せる。チケットを見せられても僕も初めてなのでどれが一日乗車券なのかわからない。よく見るとチケットに小さく「One Day Travelcard」と書いてある。それを指指し、やっと購入できた。(1,350フォリント=950円)

オーストリアの公用語はドイツ語だけど、ウィーンではどこでも英語が通じる。チェコの公用語はチェコ語で、プラハではなかなか英語が通じないところもあったけれど、観光地や公共交通機関、店などでは英語で通じる。街中や地下鉄などにはチェコ語での表記のほかに英語やドイツ語も併記されているところも多かった。しかしハンガリーはほとんどハンガリー語だけだ。街中でもあまり英語は通じない。案内標識や地下鉄の表示などもハンガリー語だけなのでまったくわからない。出口と入り口の表記もわからなければ、トイレの男性用、女性用の表記もわからなくて、これにはちょっと困ってしまう。ハンガリーの共産主義体制が崩壊し、民主政権が誕生したのはチェコと同じ1989年。まだ20年足らずだ。チェコではその後、ヨーロッパの資本がどんどん参入して西欧化が進んでいるようだけど、ハンガリーはチェコと比べるとまだまだという印象を受けた。観光に関してもまだまだで、旅行者を受け入れる体制整備が遅れている。せめて公共施設や公共交通機関での英語併記は早急に望まれるところだと思う。日本人観光客もウィーンではたくさん見かけたが、プラハではちょっと減り、ブダペストではあまり見かけなかった。

ホテルのすぐ近くのトラム乗り場で地図を見ながらどのトラムに乗ればいいのか調べていたらひとりの若い女性が「May I help you?」と話しかけてくれた。初めて立った見ず知らずの街でこうしてお世話してくれる人というのは本当にありがたいものだ。僕が王宮の丘へ行きたいのだけど、何番のトラムに乗ればいいのかと聞くと、いろいろと親切に教えてくれた。お礼を言ってトラムに乗る。ドナウ川沿いをしばらく走り、自由橋のところで降りる。ブダペストのトラムも小さくてかわいらしい。

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ブダペスト随一のショッピングストリートであるヴァーツィ通りを抜け、くさり橋のたもとへ。1849年に完成したくさり橋は、ドナウ川西側のブダ地区とドナウ川東側のペスト地区を結ぶ最初の常設橋で、ドナウ川に架かる橋の中でもっとも美しい橋と言われている。たしかに堂々としたその橋の姿は雄大なドナウ川の流れにマッチしてとても美しい。ドナウ川も中流域にあたるこのあたりでは川幅も広くなり400メートルほどにもなる。水量豊富なゆったりとした大河の流れが美しい。シュトラウスのワルツの曲名のように決して「青く」はないけれど。そして、ここから見上げる王宮の姿も堂々としていて実に美しい。

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くさり橋を渡りドナウ川のブダ側へ。王宮の丘へ登るケーブルカーがあるが、もちろんそれには乗らず坂道を歩いて登る。王宮の城門や城壁を見たり、ドナウ川の流れを眺めたりしながらゆっくりと登る。とにかく暑い。プラハも暑かったけど、ブダペストはそれ以上に暑い。歩きながら水ばかり飲んでいる。ゆっくり歩いて30分ほどで王宮の丘に登る。

王宮の丘に立つブダ王宮はまさにブダペストのシンボルだ。13世紀にベーラ4世が創建した王宮は歴代の王の居城として増改築を繰り返し、隆盛を極めた。16世紀にトルコ軍の侵攻による破壊、17世紀にハプスブルク家による再建、第二次世界大戦での打撃などの歴史を経て、1950年代に現在の建物が再建された。ゴシック様式やバロック様式が混在する堂々とした建物だ。

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王宮は立派な建物だけど、王宮以上の見所はやはりこの王宮の丘からのドナウ川の眺望だ。ブダペストは「ドナウの真珠」とか「ドナウの薔薇」とも言われるように、やはりドナウ川があってこその街なのだ。豊かでゆったりとした川の流れ、そこに架かるいくつかの橋、両岸に見える歴史的建造物、川を行き来する観覧船や貨物船などなど、ドナウ川の景色はどれも美しく絵になる。それらが見る位置や角度によって様々な表情を見せてくれる。そんな素晴らしいドナウ川の景色をいつまでもずっと眺めていた。

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幅200~400メートル、長さ1.5キロメートルと細長い王宮の丘には、ブダ王宮のほかマーチャーシュ教会、三位一体広場、漁夫の砦といった見所が多く、またホテルやレストラン、それから普通の民家までが立ち並びひとつの街になっている。そんな王宮の丘を端から端まで歩いてみる。ネオゴシック様式の壮麗な教会であるマーチャーシュ教会は、残念ながらちょうど改修工事中で中に入れず、また外観もあまりきれいに見えなかった。その前の三位一体広場にある三位一体像も改修中でまったく見えなかった。しかし、こうした有名な観光施設ではない普通の民家やその近くにある普通の教会、普通の街並みに僕はとても興味をひかれた。そこにひっそりとたたずむ人々の日常生活という空間をほんの少しでも垣間見ることができたから。僕にとっては旅行で訪れた非日常の空間であっても、そこに暮らす人々にとってはごく普通の日常の空間なのだ。

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王宮の丘をぐるっと一周して最初の場所へ戻ってくる。いつの間にやら午後8時になっている。王宮の丘の上に4時間近くもいたことになる。暑さとずっと歩き続けていたことで体は疲れ果てている。ベンチに座ってもう一度ドナウ川の景色を眺める。中欧の長い夕方も8時を過ぎると少しずつ暗くなりはじめ、ドナウ川の景色もさっきとはまた違った趣で、とても美しい。疲れで立ち上がる気がしないのと、美しい夕景をいつまでも見ていたいという気持ちがいっしょになってずっとその場に座ってドナウ川を眺めていた。その景色は本当に美しく、「この景色を見るためにブダペストまで来たんだ」と思った。

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いつまでも見ていたいという気持ちを振り切って、王宮の丘から歩いて降りる。トラムに乗ってホテル前の乗り場まで帰る。そういえば今朝、プラハのホテルで朝食を食べ、ブダペストへの飛行機の中で出されたパニーニを食べただけで、あとは何も食べていない。水を飲んでばかりいたのと、あまりにも疲れてしまい食欲はない。夜の食事はホテル近くのスーパーで何かを買って食べることにした。ところがスーパーへ行ってみると営業は朝の6時から夕方6時までとなっていた。プラハのスーパーは夜中の12時まで開いていたというのに。そういえばブダペストでは地下鉄の最終便も午後11時となっていたし、いろんなものが夜の営業を終えるのが早い。夜が遅いウィーンやプラハとは大違いだ。スーパーの隣にマクドナルドがあり、ここは午後10時までの営業だったので、ここで夕食を食べた。いろんなものの物価が安いハンガリーだけど、さすがにマクドナルドの値段はほぼ日本と同じくらいだ(ということは、ハンガリーではマクドナルドはかなり高価)。

午後9時過ぎ、ホテル着。ゆっくりとバスタブにつかり長めの風呂に入る。やはり日本人はシャワーではなく湯船に限る。明日はいよいよ今回の旅行での観光最終日。体が疲れているので明日に備えて少しでも早く眠る。午後11時、寝る。

<本日の歩数:25,830歩>

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