プラハ

2010年2月16日 (火)

『ハプスブルク三都物語』/河野純一

河野純一著の『ハプスブルク三都物語 ウィーン、プラハ、ブダペスト』(中公新書)を読んだ。

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ウィーン、プラハ、ブダペストといえば、2007年の夏、僕が7泊9日のひとり旅で訪れた街であり、外国の街の中でも僕のお気に入りの街なので、書店で新刊本として目にした瞬間、即買いしたのだけど、期待どおりにとてもおもしろく読むことができた。

僕の海外旅行のスタイルは、旅行の計画、交通や宿泊の手配、コンサート・チケットの予約や購入、現地での移動や観光、食事など、すべてを自分でやり、現地の移動は基本的に歩きか公共交通機関だけを利用する(タクシーや観光バスは利用しない)がモットーなので、旅行に行くに際しては、現地の様々な情報を最大限に入手し、観光地の情報はもとより、その国やその場所の歴史や文化などを徹底的に調べるようにしている。そうしないと、現地での対応ができないし、観光も楽しめないからだ。

なので、ウィーン、プラハ、ブダペストに関する知識や情報は相当詰め込んでいるつもりだったけれど、今回、『ハプスブルク三都物語』を読むと、僕が知っていることの追認や復習もたくさんあるものの、僕が知らなかったことや、新たに認識したことも非常にたくさんあり、大きな収穫があった。

著者の河野純一さんは、横浜市立大学の教授で、ドイツ語、ドイツ文学の研究者として、ウィーンに2年間住んでいたときの経験をもとに、本書を書かれている。そのため、僕のような単なる観光者としての知識ではなく、生活者、研究者として、より深く、多角的にウィーンを理解されている。

本書ではまず、1278年から1918年まで640年にもわたってヨーロッパに君臨したハプスブルク帝国の首都としてのウィーン、そして帝国内の重要な都市であったプラハ、ブダペストの歴史を概観し、帝国崩壊後も含めた三都の建築、音楽や絵画といった芸術、カフェやワイン、シュニッツェルといった生活や食文化に至るまで、詳細に紹介している。

ハプスブルク帝国の重要な都市として、歴史と文化を育んできたウィーン、プラハ、ブダペストという街は、中欧の歴史を共有し、相互の関連の中で発展してきたが、共通性とともに、それぞれが独自性も有し、オリジナルな魅力にあふれた街であることを再認識させてもらった。

本書のあとがきには、ウィーンのエッセイストの次のような文章が紹介されている。「多くの都市はアスファルトで舗装されているが、ここは文化で舗装されているのだ」。ウィーンだけでなく、プラハやブダペストの魅力を雄弁に語る言葉だと僕は思う。

<擦り切れた石の舗装に歴史と文化を感じるプラハの街>

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いつかまた、ウィーン、プラハ、ブダペストを訪れたいと思う。

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2008年5月21日 (水)

『プラハを歩く』/田中充子著

田中充子著『プラハを歩く』(岩波新書)を読んだ。百塔の街、黄金のプラハ、建築の宝箱、建築博物館の街などと言われるように、時代の流れの中でいくつもの建築様式を現在に残しているプラハ。その街並みと人々を語りながら、プラハの魅力を紹介する一冊で、とてもおもしろく読むことができた。読んでいるうちに昨年プラハを訪れたときのことを思い出し、またプラハの街を歩いてみたくなった。

この本を買ったのは昨年の5月。ちょうど1年ほど前のことだ。7月にプラハへ行くので、プラハについていろいろなことを調べていた時期で、この本を読んでプラハの知識を身につけるつもりだった。ところが、なかなか時間がとれなくて、どうしてもガイドブック中心に情報収集するのが精一杯で、この本まで読む時間がなかった。ヨーロッパへ向かう機内で少し読んだけれど、ほとんどの時間を寝て過ごしたため少ししか読まないまま、プラハ旅行を終え、以来、読まないままになっていたのだ。今回、1年経過ということで読んでみることにしたのだ。

田中充子さんは建築史家で、チェコスロバキア共産党政権が崩壊した直後にプラハを訪れ、プラハの街の魅力、その歴史的建造物の魅力にすっかりとりつかれたそうだ。特にプラハの街に数多く残るアール・ヌーヴォー建築に魅せられ、プラハのことを「アール・ヌーヴォー・タウン」と呼び、プラハの街にのめりこんでいったという。

そんな著書が書いた『プラハを歩く』は、プラハの単なるガイドブックでもなければ、普通の旅行記や紀行文でもない。もちろん建築の専門書でも論文でもない。自らの見聞や研究の成果に加え、自身の見解や持論を述べた、とてもユニークな紀行文(としかいいようがない)だ。文章はとても平明でわかりやすく、説得力がある。そして、この本を読んで感じたことは何といっても著者のプラハに対する愛情の深さだ。

「プラハから西へ400kmいくとフランクフルトがある。東へ500kmはワルシャワである。北の600kmはコペンハーゲン、南の500kmはベェネツィアだ。そのプラハは盆地である。ここに古代ローマ文化が、中世にドイツ文化が、近代にはパリとウィーンの文化が雪崩れこんできた。プラハには、ヨーロッパ文化、とりわけ建築文化が堆積している。」、著者はあとがきにこう書いている。

この文章を読んで改めて気付いたのだけど、プラハはヨーロッパのまさに中央に位置しているのだ。そこにヨーロッパの様々な時代の様々な建築様式が流れ込み、それらが1000年にもわたって奇跡的に残されてきた街、それがプラハなのだ。

できればプラハへ行く前にこの本を読んでおけば良かったのにと思う。そうすれば、プラハの街をもっともっと深く、もっともっと立体的に見ることができたのにと思う。と同時に、今読んだからこそプラハの魅力がよく理解できたようにも思う。これからプラハへ旅行する人。これまでにプラハへ旅行したことのある人。そして、プラハに興味をもっている人。そんなみなさんにオススメの一冊です。

プラハを歩く (岩波新書) Book プラハを歩く (岩波新書)

著者:田中 充子
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2007年7月27日 (金)

中欧旅行記<プラハ2日目>

7月15日(日) 天気 はれ

プラハも2日目、早くも今日でプラハ最終日だ。6時に起床、ホテルでビュッフェスタイルの朝食を食べる。ウィーンのホテルと同様コールド・ビュッフェだけど品数が若干多い。特にパンの種類が多くてたくさん食べた。朝食を食べて部屋に戻るがどうも体がしんどい。1時間ほど休んで8時にホテルを出発。

プラハ2日目はホテルからプラハ城の下まで歩くことからスタート。2.5キロメートルほどの距離だ。プラハの街を歩き始めてすぐに感じたことは、プラハの古い建物や古い街並みは何から何までがとにかく「絵になる」ってことだ。そこかしこにある何てことのない普通の建物や、ごくありきたりな景色でさえとても美しく思え、つい立ち止まってじっくりと見てしまう。気に入ったものはすぐにカメラを向けてシャッターを押すのだけど、こんなことではバッテリーのことがちょっと心配になる。そんな街の中をワクワクしながら歩くのは本当に楽しい。プラハに来て本当に良かったと思う。

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バラツキー橋を渡ってヴルタヴァ川(モルダウ川)の東岸へ。ゆったりと流れる豊かな川、そこに架かるいくつかの橋、川岸に連なる古くて美しい建物、遠くに望むプラハ城の遠景。橋の上から眺めるヴルタヴァ川の風景は格別でとても美しい。この川こそがボヘミアの母なる川なのだ。スメタナの「モルダウ」の美しいメロディを口笛で吹きながら橋を渡る。「プラハは最高だ!」そんな思いがこみ上げてくる。

「moldau.mid」をダウンロード

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ヴルタヴァ川沿いをプラハ城の方向へと歩く。刻々と変わっていく川面の風景やまわりの景色はやはりどんな場面でも絵になる。プラハ城に近づくにつれ、その全景が少しずつ大きく見えてくる。やがてカレル橋のたもとに到着する。カレル橋はプラハ最古のゴシック様式の美しい橋で、12世紀始めに木造橋が架けられ、1402年に現在の石橋となり、以来、今日まで600年間変わらない姿を保ち続けている。全長516メートルの橋は16のアーチをもち、橋の欄干には30体の聖人像が立ち並ぶ。現在は歩行者専用となっており、プラハ城へ向かう多くの観光客で賑わっている。

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カレル橋をヴルタヴァ川西岸に渡り、昨日も見た聖ミクラーシュ教会の美しい姿を眺めながらプラハ城の下を通り抜ける。マーネス橋を渡り、再びヴルタヴァ川東岸へ戻る。午前10時前になり日もすっかり高くなると気温がどんどん上昇する。ウィーンは曇り気味だったこともあり暑さは感じなかったけれど、プラハはとにかく暑い。ボヘミア盆地にあるプラハは典型的な盆地気候で、夏は高温で湿度も高い。天気予報では最高気温は32℃、湿度は70%とのことで、日本の真夏並みの暑さだ。昨日もそうだったけど、歩いているととにかく暑い。1.5リットルのペットボトルを持ち歩き、ミネラル・ウォーターを飲んでばかりいる。そのためお腹は減らず食欲もほとんど起こらない。近くの公園に座り、30分ほど休む。

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その後、旧市街地へ。旧市街の歴史は10世紀にまでさかのぼり、プラハの商業の中心地として発展してきた一帯である。中世以降の様々な様式の建築物が残る歴史の宝庫、「建築博物館」ともいわれる場所だ。その中心に旧市街広場があり、華やかな観光名所となっている。ホテルから歩いてくる途中の建物もどれも絵になる美しさだったけれど、この旧市街の建物はやはり格段の美しさを誇っている。旧市街広場のベンチに座り、広場を取り囲む多様な様式の歴史的建造物を眺めていると、いつまでたっても見飽きることがない。そしてこの一帯は細かい路地が複雑に入り組んだ場所でもあるが、そこに迷い込んでみるのもおもしろい。名もない普通の建築物やありきたりの街並みがそこにあるが、それがとても美しく魅力的だ。プラハの街は本当にすべてが絵になるのだ。

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ミュシャ美術館へ行く。ミュシャは僕の大好きな画家のひとりで、今回の旅行でこの美術館を訪れるのも大きな楽しみだった。1860年、チェコに生まれたアルフォンス・ミュシャはパリで舞台女優のポスターを描いて注目を集めたことがきっかけとなり、19世紀末の代表的なグラフィック・アーチスト、画家として活躍した。曲線を多用して女性や花を描くミュシャ独特のスタイルは、19世紀末に起こったアール・ヌーボーの典型で、アール・ヌーボーを代表する画家として評価されている。こじんまりとしたミュシャ美術館は入場者もそれほど多くなく、静かにゆっくりと観て回ることができる。子供の頃の絵にはじまり、一躍有名になるきっかけとなった「ジスモンダ」のポスター、女性を描いた一連のポスターや装飾パネル、珍しい油絵やパステル画など盛りだくさんで非常に見応えがある。静かな美術館でミュシャの絵と対峙していると、心の奥深くに静かな感動がじゅわっとあふれてくる。日本の浮世絵に興味をもち、研究もしていたというミュシャの絵は、僕たち日本人の奥深くにある美の感性にそっと触れる「何か」があるように思う。そして、ミュシャのことをアール・ヌーボーの巨匠という言い方がされることがあるが、僕はミュシャの絵の本質は決して巨匠的ではなく、繊細で「はかない美」にこそあると思うのだ。

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ミュシャ美術館を出て、ヴァーツラフ広場を歩く。国立博物館前から延びる長さ750メートル、幅60メートルの細長い広場で、両側にはホテルやデパートが立ち並ぶプラハ随一の繁華街だ。チェコの民主化革命「ビロード革命」のときに数十万の市民がこの広場をうめ尽くしたことで有名だ。

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チェコを代表する作曲家といえばスメタナとドボルザークだけど、ドボルザークは僕が生まれて始めてクラッシックのレコードを買った作曲家で、好きな作曲家だ。ヴァーツラフ広場の近くにあるドボルザーク博物館へ行く。大通りから奥まった場所にあり、なかなかわかりずらい。やっと到着したところが博物館へ入ろうとすると係りの男性が入り口のドアを閉めながら「Lunch time」と言う。どうやら昼食時間のため一時閉鎖するらしい。仕方なく外観の写真を撮っていると日本人の夫妻(50代後半くらい)が建物から出てきた。「1時半から1時間ほど昼食休憩のため締め出されてしまった」と教えてくれた。この夫妻は10分ほど前に入り、一階を見終わって2階へ移動しようとしていたところ、突然、昼食時間なので出るようにって言われたそうだ。まったく日本では考えられない話だ。僕のかっこうを見て奥さんが「歩いて回っているんですか?」と聞かれたので、そうだと答えると、「じゃ、この近くに行ってみるといいと思う場所がありますよ。もしも興味があればだけど」と言われる。「もしも興味があれば」なんて言われると俄然興味が湧き、「それはどこですか?」と聞く。地図を出して「このあたりなんだけど、チェコのレジスタンスとナチス・ドイツが銃撃戦を行った建物があります。地下なんだけど。私たちは先ほど見てきましたが、とても印象に残りました」と教えてくれた。

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お礼を言ってその場所へ向かう。「もしも興味があれば」という彼女の言葉がどうしても忘れられない。その言葉の「意味」を実際に行って見て自分で確かめてみたくなったのだ。ガイドブックや地図にも載っていなければ、目だった標識も出ていないその場所は、大きな通りに面して普通にそこにあった。意識して通らなければ気付くこともなく通りすぎていたはずだ。しかし、いったん気付いてしまうとその外壁には無数の銃痕が生々しく残っている。地下へ降りる。チェコ語の説明表示しかないため詳しくはわからないけれど、ここはどうやらレジスタンスの活動拠点だったようだ。外壁と同じように無数の銃痕が壁に刻み込まれている。ところどころには砲弾の跡も残されている。たくさんの花やメッセージ・カードが供えられている。地下へ降りた瞬間から今までとまったく異質な空間であることを感じていた。そこに浮遊している「何か」を感じていた。そして彼女が「もしも興味があれば」とわざわざ前置きした意味もよくわかった。美しくてきれいなプラハの街、その中にありながらこの場所はまったく陰惨極まりない場所だ。場合によってはこの場所を見ることによってプラハという街の印象やイメージがガラッと変わってしまうかもしれないのだ。美しく楽しい気分が一転して陰鬱なものになってしまうかもしれないのだ。しかし、そうではあってもやはりここもプラハの街の一部であり、プラハの歴史の一部なのだ。彼女が言った言葉の意味はたぶんこういうことなんだと僕はその地下の中で思った。そして、彼女との偶然の出会いによってこの場所を訪れることができて本当に良かったと思った。

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暑さと疲労のため、いったんホテルへ戻りシャワーを浴びて2時間ほど昼寝をする。午後6時に再びホテルを出発し、市民会館へ向かう。「プロム・コンサート」を聴くためだ。昨夜のエステート劇場にほど近い市民会館は、1911年に建てられた華麗なアール・ヌーボー様式の文化施設で、ヨーロッパ屈指のコンサート・ホールである「スメタナ・ホール」があることで知られている。「プロム・コンサート」はロンドンの夏の風物詩、ロイヤル・アルバート・ホールでの有名な「プロム」をまねたものだと思うけど、夏の夜、連日コンサートがシリーズで開催されている。今日のプログラムは次の3曲、オーケストラはチェコ・ナショナル・シンフォニー・オーケストラ。

①バーバー作曲 弦楽のためのアダージョ

②アンドレア・モリコーネ作曲 合唱とオーケストラのためのセジェスタ

③ムソルグスキー作曲 展覧会の絵

スメタナ・ホールは落ち着いた雰囲気ながら非常に豪華でアール・ヌーボーの様式がやわらかくて美しい。そしてその見た目の美しさ以上に驚かされたのはその音響の素晴らしさだ。残響がとてもいいからだと思うが、音の響きはどこまでも豊かで奥深く、まろやかでやわらかい。こんな素晴らしいコンサート・ホールで音楽を聴くのは初めてだ。

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指揮者なし、弦楽器だけではじまったバーバーのアダージョ。美しいそのメロディを奏でるストリングスの静かな音が、スメタナ・ホールの素晴らしい音響で聴こえてきた瞬間はまさに鳥肌ものだ。このまろやかでやわらかいサウンドといったら!続いての曲は作曲者アンドレア・モリコーネ自身の指揮で演奏されるが、何とこれがワールド・プレミア(世界初公演)という幸運だ。アンドレア・モリコーネという人を僕は知らなかったが、その名前からもしかしてと思ったとおり、イタリアを代表する映画音楽の作曲家エンニョ・モリコーネの息子だった。静かなピアノ・ソロで始まった曲は、オーケストラに四声合唱を伴う大規模なもので、爆発と静寂が波のように何度も何度も繰り返しやってくる感動の大作だ。客席の反応も大好評で、初演は大成功だったように思う。最後の「展覧会の絵」も感動的だ。何よりもやはりオーケストラの響きが素晴らしい。曲のフィナーレ「キエフの大門」の盛り上がりでは体全体が熱くなるのがわかるくらい感動した。本当に最高のコンサート体験だった!

コンサートが終わると午後9時。プラハ最後の夜をこのままホテルへ帰ってしまうのはもったいなくて、そのまま夜のプラハの街を散策する。旧市街広場からカレル橋を渡り、再びプラハ城へ登る。夜のプラハの街は昼間のそれとはまた違った表情をしている。幻想的でとても美しい。まるで中世にタイムスリップしてしまった感じだ。

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いつまでも去りがたい気分だけど、明日はプラハからブダペストへ移動しなければならない。荷造りもあるので午後11時にホテルに帰る。荷造りを終え、シャワーを浴び、スーパーで買っていたチェコ・ビール(日本円で約70円)を飲む。チェコといえば国民一人当たりの年間ビール消費量が世界一というビール大国だ。そして、チェコのビールといえば「ピルスナー・ビール」だ。ピルスナーとは低温でじっくりと熟成させる下面発酵製法で造られるビールで、淡色の黄金色に透き通り、風味豊かでコクとキレがあるのが特徴だ。チェコはそのピルスナー・ビール発祥の地なのだ。スーパーに行くといろいろな種類のピルスナー・ビールが山積みで売られている。どれも驚くほど安い。500ミリリットルの缶ビール1本が日本円にして70円から90円くらいだ。ホント、水より安い!僕は基本的にアルコールは飲めないのだけど、やはりチェコに来たからには一度はピルスナー・ビールを飲んでおかなければ。すぐに酔っ払い、午前1時に眠る。

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<本日の歩数:32,780歩>

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2007年7月25日 (水)

中欧旅行記<プラハ1日目>

7月14日(土) 天気 はれ

ウィーンからプラハへ移動。音楽の都、大作曲家たちゆかりの街、ウィーンはクラッシック音楽好きの僕にとってはたまらなく魅力的な街だった。しかし、そもそも今回の中欧旅行を考え始めた理由といえば、テレビで世界遺産の街をめぐる番組でチェコのプラハが紹介されているのを見て、ひと目でその美しい街のとりこになってしまったことだった。その番組を見て、「プラハへ行こう」、突然、僕の中で湧き起こったその思いが今回の旅行のきっかけだったのだ。そして、プラハこそが今回の旅行のメインであり、僕がもっとも楽しみにしている街なのだ。

6時起床。早々と朝食を済ませ、荷造りは昨夜のうちにやり終えていたので7時にホテルをチェックアウト。初日に来たときと逆の路線でホテルから空港へ向かう。ホテルをチェックアウトするときに僕の前にいた日本人のおじさん(60歳くらい)と地下鉄の中でいっしょになりしばらく話す。昨夜、おじさんがホテルに戻ろうとしていたとき、ホテルのすぐ近くでニセの警察官に呼び止められパスポートを見せるように言われたとのこと。いきなりパスポートを見せろなんていかにも怪しかったため、ホテルに戻ってホテルで見せると言い張ったところ、ニセ警官はぶつぶつ言いながら去って行ったとのこと。このおじさんはヨーロッパ旅行が趣味で、今回はボスニアからオーストリアに入り、これから空路でアルメニアに行くとのことで、ヨーロッパの国で行っていないのはあとアイスランドだけになると話していた。

空港からホテルに来るときは少々迷ってしまったが、帰りはとてもスムーズに行くことができ、8時にはシュベヒャート空港に着く。チェコ航空カウンターでチェックインし、出国手続きを終えても飛行機の出発時間までは2時間ほど待った。ウィーンからプラハまでの飛行機はプロペラ機で乗客も全部で50人足らず。日本人は誰もいない。フライト時間わずか40分ほどでプラハのルズィニェ空港に到着。

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チェコはシェンゲン協定国ではないため、オーストリアからチェコへ移動する場合にはオーストリアの出国手続きとチェコの入国手続きが必要となる。チェコのパスポート・コントロールは僕が今まで経験した中でいちばん厳重なものだった。パスポートの写真をルーペのようなものでじっくり調べたり、これまでの出入国歴のスタンプをひとつひとつチェックしたりとかなり念入りだ。最後にチェコが最終目的地かと訊かれ、やっと通してもらえた。1989年に起こったビロード革命からわずか20年足らず、それまでチェコは共産主義国であり、映画「ミッション・インポッシブル」の舞台にもなったように東西両陣営のスパイが暗躍する国であったことの名残だろうか。

ルズィニェ空港からプラハ市内への移動は直通の電車や地下鉄はない。バスや地下鉄を乗り継いで行くか、CEDAZ社が運行しているミニバスを利用することになる。大きなスーツケースもあるため僕はミニバスを利用することにした。到着ロビーに出るとまず両替。ミニバスのカウンターへ行き市内中心部までのチケットを買うと、ミニバスは6人ほどを乗せてすぐに出発した。市内中心部、共和国広場前までノンストップで30分ほどだ。

ミニバスを降りるとそのまま500メートルほど歩いて地下鉄ムーステク駅へ向かう。途中でチケット・ショップに寄り、インターネットで購入しておいたオペラとコンサートのチケットをバウチャーと引き換えに受取る。ムーステク駅で地下鉄B号線に乗り、ホテル最寄のアンジェル駅まで3駅。ここまでは非常にスムーズにいったが、アンジェル駅からホテルまでがちょっと苦労した。そもそもインターネットでホテルを予約したときも、ホテルの位置図はなく、最寄の地下鉄駅から徒歩3分とだけ記載されていた。地下鉄駅を出て周辺を見回してもそれらしい建物は見えない。駅前のキオスクの店員や通行人に聞いてみても英語がまったく通じない。駅前をうろうろしていると2人組の制服警官が歩いていたのでホテル名を告げて聞いてみたのだけど、やはり英語は通じない。チェコ語で何やら言いながら、身振り手振りで何かを伝えようとしてくれている。どうやらもう一度地下鉄駅へ戻り、反対側の出口へ行くようにと言っているようだ。確信は持てないものの、とにかくその通りにしてみると、ホテルの看板が目に飛び込んできた。ホテル「IBIS SMICHOV(イビス スミーホフ)」、午後1時過ぎ、やっとの思いでチェックインした。

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荷物を解き、しばらく休んだ後、ホテルを出発。ホテルのすぐ近くにマクドナルドがあったので遅い昼食を取った。ホテルのすぐ目の前がトラム(路面電車)の駅になっており、ここからトラムに乗りプラハ城を目指す。トラムのチケットは、先ほど地下鉄に乗るときに24時間のフリーパスを買っておいた。プラハのトラムもウィーンと同じように小さいが、ウィーンのトラムよりもさらにクラシカルで街並みにとてもマッチしている。

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聖ミクラーシュ教会前でトラムを降りる。聖ミクラーシュ教会は豪華で壮麗なバロック様式の教会で、モーツァルトが演奏したオルガンも現存しているという。時間がなかったので中には入らず、外観だけを見たが実に美しい教会だ。この教会があるマラー・ストラナ広場からプラハ城へ登る道があり、そこからプラハ城へ向かう。坂を登って行く途中にある建物の壁にアルフォンス・ミュシャのプレートが掛けられていたので、ミュシャとゆかりのある建物なのかもしれないが詳しいことは不明。

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坂道を15分ほど登るとフラッチャニの丘の上に到着。市内が一望できる小高い丘で、プラハ城はこの丘の上に立っている。フラッチャニの丘にそびえるプラハ城は9世紀に建てられ、歴代のチェコの支配者が居城としてきたもので、時代ごとに増築を重ね14世紀に現在の姿になった。王家の居城とともにいくつかの宗教施設が並存し、ひとつの街のようになっている。現在も城の一部がチェコ共和国の大統領官邸として使われている。

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マティアーシュ門をくぐって第一の中庭、第二の中庭を過ぎると目の前に突然、聖ヴィート大聖堂の巨大な姿が目に飛び込んでくる。聖ヴィート大聖堂はゴシック様式の堂々とした姿が圧倒的で、高さ96メートルの塔をもつ。930年に建てられた教会がもととなり、1344年から600年もの長い年月をかけて増改築が続けられ、1929年に現在のかたちに完成したという何とも気の遠くなるような歴史的建造物なのだ。ちょうど僕が第二の中庭から抜けようとしていたとき、白い婚礼服に身を包んだ一組のカップルが大聖堂の方から歩いてきた。たぶん大聖堂で結婚したばかりなんだろう。観光客の注目を集める中、新郎が新婦を抱き上げたとき、たくさんの観光客から祝福の拍手喝采が湧き起こった。偶然とはいえ、何と微笑ましくよろこばしい場面に立ち会えたことだろう。聖ヴィート大聖堂の中は外観から想像する以上に巨大で厳粛な空間で、礼拝堂が6つもある。そのうちのひとつの礼拝堂にあるステンドグラスはアルフォンス・ミュシャの作品だ。そこに描かれた女性はたしかにミュシャならではのものだ。狭い石の階段を歩いて聖ヴィート大聖堂の塔に登る。すっかり息が切れてしまったが、そこから見えるプラハ市街の眺めはまさに絶景だ。プラハ城の下を流れるヴルタヴァ川、そこに架かるいくつもの橋、その対岸に広がる旧市街の建物群、大小様々ないくつもの塔など、これがまさにプラハの街の美しさなのだ。

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聖ヴィート大聖堂を出ると新王宮の横を通り第三の庭へ。目の前に聖イジー教会の均整のとれた美しい姿が現れる。聖イジー教会はボヘミアでもっとも美しいロマネスク様式の教会といわれており、後に白いふたつの塔を配し、シンメトリーな優美な外観が特徴的だ。920年に建てられた木造教会からはじまる聖イジー教会も1000年を超える歴史をもつ建造物だ。その美しさはいつまで見ていても飽きることがない。その隣には旧王宮がある。12世紀に建てられ歴代のボヘミア王の居城として使われてきた旧王宮は、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネッサンス様式などそれぞれの時代の様式が取り入れられているが、その中で中欧最大のホールといわれているヴラティスラフ・ホールの天井は、見事な幾何学模様を描いていてとても見応えがある。

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旧王宮を出ると有名な黄金小路へ。小さな長屋が続く小路だけど、かつてこの長屋に錬金術師が住み、人工黄金の研究にいそしんでいたという伝説から黄金小路と呼ばれるようになった。実際は、城を警備する門番や兵のための住居として16世紀に建てられたものであるが、この何となく不思議な感じの空間は錬金術師が住んでいたというにふさわしい雰囲気が漂っている。長屋のひとつに、かつてフランツ・カフカが部屋を借りて仕事場としていたというものがある。黄金小路を抜け、来たときとは反対側からプラハ城を下りる。

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プラハ城を下りてトラムでホテルに戻る。途中で気付いたのだけど、プラハの道路はいまだに石畳のところが多い。そこを自動車がかなりの高速で走るものだからガタガタガタととてもうるさい音が響く。そういえば今日、空港からミニバスに乗ってきたときもガタガタとしてとても乗り心地が悪かった。

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ホテルに戻り、すぐ隣にあるスーパーTESCOで買い物をする。テスコといえばイギリスの大手スーパーだけど、プラハ市内に何店舗も出店しているらしい。共産主義の崩壊から約20年、チェコではヨーロッパの大手資本がどんどん進出してきているとのこと。ちなみに、プラハで使われている英語はイギリス英語だった。道路標識には「CITY CENTRE」(アメリカ英語でいえばCITY CENTER:市内中心部のこと)とイギリス英語で表示されていたし、マクドナルドで持ち帰りで注文しようとして「take out」というと、「take away」かと聞き返された。さすがにマクドナルドは街のそこかしこで見かけたが、スターバックスは一軒も見かけたことはなく、チェコではまだアメリカ資本の進出はそれほど進んでいないのかもしれない。

ホテルでシャワーを浴びたて1時間ほど休む。午後7時にホテルを出発してエステート劇場へ向かう。プラハでのクライマックス、もっといえば今回の旅行でのクライマックスともいえるモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」を観るためだ。音楽の都ウィーンではシーズンオフであったため残念ながらオペラを観ることはできなかった(オペレッタ(小さなオペラの意味)を観ることはできたけど)。プラハもシーズンオフのためオペラの公演はないと思っていたのだけど、インターネットでいろいろ調べているとエステート劇場での「ドン・ジョバンニ」公演のことを知ってすぐにネットでチケットを購入した。2階バルコニー席で、日本円にして約7,500円という安さだ!

エステート劇場は1783年、プラハで最初に造られたヨーロッパ屈指の歴史と伝統を有する劇場で、国の至宝とも呼ばれている。200年を超える長い歴史の中でこの劇場の名を不滅のものとする出来事は、1787年10月29日にモーツァルトが自身の指揮でオペラ「ドン・ジョバンニ」を初演したことだ。世界最高峰といわれるウィーン国立歌劇場のオペラを観ることはできなかったけれど、モーツァルトが「ドン・ジョバンニ」を初演した劇場で、まさにその傑作オペラ「ドン・ジョバンニ」を観ることができるなんて、これほどのよろこび、幸せがあるだろうか!僕はオペラを観るのは初めてだったこともあり、この「ドン・ジョバンニ」は最初から今回の旅行での最大の楽しみだったのだ。

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エステート劇場の中は創建当時の美しく壮麗なまさに夢のような空間だ。映画『アマデウス』のオペラシーンもこの劇場内で撮影されたほどだ。2階のバルコニー席からはオーケストラ・ピットも丸見えだし、ステージもすごく近い。しかもラッキーなことに僕の席のあるバルコニーは他に観客はおらず、貸切状態でゆったりとくつろぎながら観ることができる。

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午後8時、序曲が始まりそのまま第一幕へ。イタリア語の歌詞はわからないけれど、昨日の「こうもり」と同じように事前に「ドン・ジョバンニ」のあらすじを読んでいたので大筋は理解できる。バルコニー席からは役者がすごく近くに見え、歌声も非常にクリアによく聴こえる。またオーケストラの音もすごくクリアに聴こえてくる。歌詞のひとつひとつの細かい意味はわからなくとも、モーツァルトの音楽が聴こえればそれで充分だ!平土間席からはまったく見えないオーケストラ・ピットの中で演奏している奏者たちの動きが身近に見えるのも非常に興味深い。指揮者がオーケストラやステージ上の役者に向かってタクトを振っている姿も非常に興味をそそられておもしろい。「ドン・ジョバンニ」の初演時、モーツァルトはこのオーケストラ・ピットの中でチェンバロを弾きながら指揮をしていたんだと思うと何とも言えない感動がこみ上げてくる。きっと踊るように飛び跳ねながら指揮していたんだろうな。歌手の歌、オーケストラの演奏はもう最高に素晴らしい。何度も何度も感動の波が心に押し寄せてくる。第一幕が終わり20分ほどの休憩の後、第二幕へ。フィナーレの重唱まで圧倒的な感動の連続だ。終わったときには「ブラボー!」と思わず大声を上げていた。全部で2時間30分。たぶん生涯忘れることのないであろう素晴らしい感動体験だった。

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オペラの後、エステート劇場を出ると、ライトアップされたその姿は幻想的でとても美しかった。今にもその路地からモーツァルトが現れてきそうなそんな雰囲気だ。しばらく付近を散策する。夜のプラハの街は本当に幻想的で美しい。散策をしていると二人組みのアジア人女性が英語で道をたずねてきた。聞かれた場所は知らなかったので、「残念ながら僕も今日、プラハに来たばかりなのでわからない」と答えると、「あなたは日本人か?」と英語で言う。「そうだけど、君たちも日本人ですか?」と日本語で聞くと、何も言わず笑いながら走り去っていった。何だか不思議な感じだ。

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ホテルに帰ると0時を過ぎていた。長い一日だった。ウィーンからの旅の疲れがピークに達した感じだ。ホテルにはあいにくシャワーしかない。こんなときはやはりゆったりと湯船につかりたいものだ。午前2時、洗濯をした後、泥のように眠った。

<本日の歩数:23,681歩>

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