ウィーン

2010年2月16日 (火)

『ハプスブルク三都物語』/河野純一

河野純一著の『ハプスブルク三都物語 ウィーン、プラハ、ブダペスト』(中公新書)を読んだ。

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ウィーン、プラハ、ブダペストといえば、2007年の夏、僕が7泊9日のひとり旅で訪れた街であり、外国の街の中でも僕のお気に入りの街なので、書店で新刊本として目にした瞬間、即買いしたのだけど、期待どおりにとてもおもしろく読むことができた。

僕の海外旅行のスタイルは、旅行の計画、交通や宿泊の手配、コンサート・チケットの予約や購入、現地での移動や観光、食事など、すべてを自分でやり、現地の移動は基本的に歩きか公共交通機関だけを利用する(タクシーや観光バスは利用しない)がモットーなので、旅行に行くに際しては、現地の様々な情報を最大限に入手し、観光地の情報はもとより、その国やその場所の歴史や文化などを徹底的に調べるようにしている。そうしないと、現地での対応ができないし、観光も楽しめないからだ。

なので、ウィーン、プラハ、ブダペストに関する知識や情報は相当詰め込んでいるつもりだったけれど、今回、『ハプスブルク三都物語』を読むと、僕が知っていることの追認や復習もたくさんあるものの、僕が知らなかったことや、新たに認識したことも非常にたくさんあり、大きな収穫があった。

著者の河野純一さんは、横浜市立大学の教授で、ドイツ語、ドイツ文学の研究者として、ウィーンに2年間住んでいたときの経験をもとに、本書を書かれている。そのため、僕のような単なる観光者としての知識ではなく、生活者、研究者として、より深く、多角的にウィーンを理解されている。

本書ではまず、1278年から1918年まで640年にもわたってヨーロッパに君臨したハプスブルク帝国の首都としてのウィーン、そして帝国内の重要な都市であったプラハ、ブダペストの歴史を概観し、帝国崩壊後も含めた三都の建築、音楽や絵画といった芸術、カフェやワイン、シュニッツェルといった生活や食文化に至るまで、詳細に紹介している。

ハプスブルク帝国の重要な都市として、歴史と文化を育んできたウィーン、プラハ、ブダペストという街は、中欧の歴史を共有し、相互の関連の中で発展してきたが、共通性とともに、それぞれが独自性も有し、オリジナルな魅力にあふれた街であることを再認識させてもらった。

本書のあとがきには、ウィーンのエッセイストの次のような文章が紹介されている。「多くの都市はアスファルトで舗装されているが、ここは文化で舗装されているのだ」。ウィーンだけでなく、プラハやブダペストの魅力を雄弁に語る言葉だと僕は思う。

<擦り切れた石の舗装に歴史と文化を感じるプラハの街>

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いつかまた、ウィーン、プラハ、ブダペストを訪れたいと思う。

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2008年10月14日 (火)

ウィーンの音楽家の像②

先日はウィーンの市立公園にある音楽家の像について書いたけれど、今日はウィーン市内にある音楽家たちの像について。

音楽の都ウィーンには有名な音楽家たちゆかりの地、場所がたくさんある。また、ウィーンで活躍した音楽家たちの像や記念碑が街のそこかしこにあり、それらを訪ねて歩くのも、クラシック音楽好きにはたまらないものなのだ。ウィーンの街は小さな街なので、そうした音楽家たちゆかりの場所をゆっくりと歩いて巡ることができる。

そんな音楽家の像の代表といえば、やはりモーツアルトの像だろう。ウィーンを訪れた観光客なら必ず訪れるであろう王宮(ホーフブルク)のすぐ隣、王宮公園の緑豊かな庭園の中にあるモーツアルト像だ。ウィーンの観光名所として、多くの旅行者が訪れて記念写真を撮影していた。

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モーツアルトが来れば次はベートーヴェン。市立公園から有名なコンサートホールであるコンツェルトハウスへ向かう大きな道路沿いに、ベートーヴェン広場と呼ばれる小さな広場があり、その中にベートーヴェン像がある。昔、学校の音楽室で見たあの険しい表情をしたベートーヴェンの座像だ。こちらのベートーヴェン像は、観光名所とは離れた場所にあるため、観光客が訪れることもなくひっそりとその偉容を誇っている。

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ベートーヴェンに続いてはブラームス。ウィーン・フィルの本拠地としても有名な楽友協会の道路一本はさんだ向かい側に緑豊かなカールス広場がある。その中に白亜のブラームス像がひっそりと建っている。ベートーヴェン像の偉容と比べると、このブラームス像は静かに下を向いており、いかにもブラームスらしい。場所はウィーン観光の中心地に近いのだけど、あくまで地味に存在しているブラームス像には気付く人も少なく、ますますブラームスらしいのだ。

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ブラームスとは正反対の音楽的立場をとったリヒャルト・ワーグナー。あまりウィーンとの関係はなさそうだけど、若かりし頃、ウィーンに滞在していたことがある。そのときの滞在先が有名なホテル・インペリアル。日本の皇族も宿泊するという伝統と格式のあるホテルだ。このホテルの入口近くの壁に、ワーグナーが滞在していたことを記載したプレートが設置されている。インペリアルを見に来たり、ケーキを買い求める人は多いが、ワーグナーのプレートに気付く人はほとんどいない。

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ワーグナーとくればその弟子ともいえるブルックナー。市立公園にブルックナー像が建てられていることは前に書いたが、有名な観光地にブルックナーのプレートが設置されている。誰もが訪れるベルヴェデーレ宮殿だ。最晩年に歩くこともままならなくなったブルックナーに、時のオーストリア皇帝はベルヴェデーレ宮殿内に住居を与えた。それが宮殿の使用人の家で、ブルックナーは死を迎えるまでここで暮らした。その使用人の家にブルックナーの記念プレートが設置されているのだけれど、宮殿を訪れる多くの人々は、宮殿の美しさに目を奪われ、使用人の家には目もくれない。

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芸術の秋、クラシック音楽を聞きながら、はるかウィーンに思いを寄せることにしよう。

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2008年10月12日 (日)

ウィーンの音楽家の像

音楽の都といえばオーストリアのウィーンだ。ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ブラームス、マーラーなどなどそうそうたる作曲家たちがウィーンという小さな街で活躍し、クラシック音楽というまさに珠玉の宝を作り出してきた。

実際にその地に立ってみると思うことだけど、ウィーンという街は本当に小さな街だ。こんな小さな街に音楽の才能が集まり、次から次へと大輪の花を咲かせていったとは何とも不思議な気がする。

今日では、ウィーンは音楽の都として、また、長年にわたりヨーロッパを支配してきたハプスブルク帝国の首都として、世界中から多くの人々が訪れている。まさに国際観光都市なのだ。

しかし、ウィーンの人々は、案外、閉鎖的だと言われている。なかなか外部からの人を受け入れてはくれない。そのことをよく表しているのが、ウィーンの中心地にあり、ウィーンの人々によって作られた市立公園にある音楽家の像が物語っている。

ウィーンの市立公園には、有名な音楽家の像が3体ある。ヨハン・シュトラウス、フランツ・シューベルト、そしてアントン・ブルックナーだ。ヨハン・シュトラウスとシューベルトは、ウィーンで生まれ、ウィーンで育ち、生涯ウィーンで活躍した生粋のウィーン人だ。(ブルックナーは同じオーストリアの生まれだけで、ウィーン生まれではない。なぜブルックナー像があるのか、僕はわからない。)つまり、ウィーンで活躍した多くの音楽家たちの中でも、生粋のウィーン人となるとシュトラウス一家とシューベルトくらいのもの。ウィーン古典派と呼ばれるモーツアルトやベートーヴェンでさえ、市立公園内には像を建ててはもらえないのだ。モーツアルトはオーストリア生まれではあるけれど、ベートーヴェンは話す言語は同じでもドイツの生まれだ。しょせん、外部から音楽の都ウィーンに入ってきた流れ者たちなのだ。ウィーンの人たちからすれば、自分たちの音楽家ではないのだろう。そういえば、ウィーンの街角ではいろんな場所で音楽が聞かれるが、どれもシュトラウス一家のウィンナ・ワルツばかり。モーツアルトやベートーヴェンの音楽は聞こえてこない。ウィーンの人たちにとって“おらが音楽家”といえば、ヨハン・シュトラウスであり、シューベルトなのかもしれない。

↓ヨハン・シュトラウス像

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↓フランツ・シューベルト像

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↓アントン・ブルックナー像

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2007年7月24日 (火)

中欧旅行記<ウィーン3日目>

7月13日(金)  天気 はれ

ウィーンも3日目、早くも今日がウィーン最終日。6時起床。ビュッフェの朝食をいっぱい食べて7時過ぎにホテルを出発。目指す先は市内中心部からちょっと離れた中央墓地。1874年に造成された中央墓地は240haもの広大な敷地内に約300万人が眠っている。その中にはベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シュトラウス一家などウィーンで活躍した偉大な音楽家たちの墓もあり、その墓参が目的だ。

中央墓地へは地下鉄3号線の終点スィンマリンクまで地下鉄で行き、そこからトラムに乗り換え、中央墓地第2門で下車。ホテルから30分ほどだ。大きな第2門を抜け、巨木の並木道を200メートルほど進むと左手に「32A」という区画があり、そこに音楽家たちの墓が集中している。朝8時前の早い時間であるため墓参者は僕以外には誰もいない。朝日が差し込む中、静寂につつまれた墓地は非常に厳かな雰囲気が漂っている。「32A」区は20メートル四方ほどの広さで、その中に多くの音楽家たちの墓が立っている。順番に墓の前に立ち、墓碑銘を読み誰の墓なのかを知る。静かに手を合わせそこに眠る音楽家に心の中で話しかける。誰にも邪魔されることのない実に親密で厳かな時間だ。

<↓中央墓地第2門>

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<↓音楽家たちの墓地案内>

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<↓モーツァルトの墓>

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<↓ベートーヴェンの墓>

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<↓シューベルトの墓>

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<↓ヨハン・シュトラウス1世の墓>

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<↓ヨハン・シュトラウス2世の墓>

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<↓ジョセフ・シュトラウスの墓>

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<↓ブラームスの墓>

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中央墓地から市内中心部へ戻ると国立オペラ座の裏側にあるホテル・ザッハーへ。有名な「ザッハー・トルテ」を食べるためだ。人気があるためいつも満席とのことだけど、まだ午前中の早い時間であるためそれほどお客も多くはない。ゆったりと座ってコーヒーとザッハー・トルテを味わう。1832年にフランツ・ザッハーが考案したザッハー・トルテはたちまち大人気を博した。ところが20世紀初頭、ザッハーの息子とカフェ・デーメルを経営するデーメル家の娘が結婚したことから秘伝のレシピがデーメル家に伝わり、カフェ・デーメルでもザッハー・トルテが売り出された。第2次世界大戦後、両家の間でザッハー・トルテの商標をめぐる争いが起き、法廷にまで持ち込まれた。ウィーンの文化人、歴史家、料理研究家なども巻き込んだ法廷闘争は1962年に決着。評決は「トルテは両家ともに生産してよろしい。“オリジナル”をつけるかどうかは双方で決めよ」というもので、今日、オリジナルを名乗っているのはザッハーだ。ということで最初はザッハーとデーメルのトルテを食べ比べるっていう計画を考えたのだけど、時間的にも、またトルテ2連発はちょっとキツイこともあり、食べ比べはやめ、どうせなら当然オリジナルの方を食べてみることにしたのだ。で、オリジナルのザッハー・トルテ、はっきり言ってかなり甘いです。しかし、写真を見ていただければわかるようにザッハー・トルテには大盛りのホイップクリーム(砂糖抜き)が添えられていて、このクリームといっしょに食べると甘さ加減がちょうどよくなりとてもおいしかった。また、デーメルのトルテとの違いであるスポンジの間にはさまれたアプリコット・ジャムのかすかな酸っぱさも絶妙な味加減を演出している。

<↓ホテル・ザッハー>

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<↓ザッハー・トルテ>

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オリジナルのザッハー・トルテを味わった後は、トラムに乗ってウイーンの市内を一周する。ウィーンの旧市街はかつて諸国の侵略から守るため強固な城壁で囲まれていた。現在はその城壁が取り壊され、その跡がリンクと呼ばれる環状道路となり旧市街を取り囲んでいる。そしてそのリンクを一周するトラムに乗ればウィーンの旧市街の主だったところが見えるというわけだ。トラムでのリンク一周は30分ほどだ。オペラ座前からトラムに乗り、時計と逆回りで周回し、トラムの車窓から街の景色を楽しむ。まず、昨日、リヒャルト・ワーグナーの碑銘を見に行ったホテル・インペリアル。天皇陛下も宿泊した伝統と格式のあるホテルだ。白い尖塔が目をひくヴォティーフ教会は、1879年に完成したゴシック様式の荘厳な造りで、高さ99メートルの白亜の双塔が美しい。19世紀後半に完成したネオゴシック様式の市庁舎は、均整のとれた美しいスタイルで中央塔の高さは98メートルにも及ぶ。そのすぐとなり、同じく19世紀後半に建てられたギリシア古代様式の建物は国会議事堂だ。王宮の反対側にある美しい建物はヨーロッパ3大美術館のひとつといわれる美術史博物館だ。

<↓トラムとトラム内>

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<↓ホテル・インペリアル>

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<↓ヴォティーフ教会>

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<↓市庁舎>

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<↓国会議事堂>

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<↓美術史博物館>

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トラムでのリンク一周が終わると楽友協会のガイドツアーへ。昨日、ガイドツアーに参加したウィーン国立歌劇場の専属オーケストラが国立歌劇場を離れ単独のオーケストラとして演奏する、かの「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の本拠地だ。残念ながらウィーン・フィルも7月、8月はシーズンオフのため演奏を聴くことはできないので、ガイドツアーに参加して楽友協会の内部を見学する。ガイドツアーはドイツ語と英語で、日本語でのツアーはない。午前11時からの英語でのツアーに参加するが、全部で20名ほど。日本人は僕だけだ。英語のガイドはあまりにも早口でとても全部は聞き取れない。まず最初は主に室内楽のコンサートに使われる小さめのコンサートホール、通称「ブラームス・ホール」。次に本命の「ムジークフェライン・ザール」、通称「ゴールデナー・ザール(黄金の間)」。恒例のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの会場としても有名だ。世界でもっとも音響が良いといわれるムジークフェライン・ザールはシュー・ボックス(靴箱)型のコンサートホールで、その名のとおり金箔が施され豪華絢爛できらびやかなホールだ。ホール内は木質素材で造られており、これがウィーン・フィル独特の黄金の響きを生み出す秘密といわれている。ホールに立った瞬間、ここがあのニュー・イヤーコンサートの映像で見慣れた場所、ウィーン・フィルの数々の素晴らしいレコーディングが行われた場所なんだと思うと感激でいっぱいになる。そして、木製の椅子に座り誰もいないステージを見ていると、いつかはここでウィーン・フィルのコンサートを聴きたいという思いが強くなる。

<↓楽友協会>

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<↓ブラームス・ホール>

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<↓ムジークフェライン・ザール>

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40分ほどのガイドツアーが終わると「セセッション」へ。セセッションは19世紀末、革新的な芸術表現を主張し、旧来の体制から決別した若い芸術家(分離派と呼ばれる)の作品発表の場として創設された。19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで流行した造形様式、ドイツ語ではユーゲントシュティール、フランス語ではアール・ヌーボー、英語ではモダン・スタイルと呼ばれる芸術様式の運動拠点となった場所だ。ここを訪れた主目的は、クリムトの代表作「ベートーヴェン・フリーズ」を見るためだ。セセッションの地下壁面の4面にわたって描かれた大作はベートーヴェンの交響曲第9番をモチーフにした作品で、ベートーヴェンが交響曲第9番で高らかに謳い上げた人類愛がテーマになっている。あまり人のいない地下の椅子に座り、クリムトの絵と対峙していると、静かな感動が胸に迫ってきた。

<↓セセッション>

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セセッションを出るといったんホテルに戻り1時間ほど休憩。その後、ウィーン観光のクライマックス、シェーンブルン宮殿へ。皇帝レオポルト1世の「フランスのベルサイユ宮殿をしのぐものを造れ」との命を受け1749年に完成したシェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の夏の離宮として使用されハプスブルク家の栄華が結実した見事な宮殿だ。ロココ様式の美しい宮殿は部屋数1,400を越える大きなもので、広大な庭園の中には動物園や大温室もあり、ヨーロッパ有数の宮殿だ。門をくぐって敷地内に入るとマリア・テレジア・イエローの美しい建物が目に入ってくる。白亜のベルサイユ宮殿よりもやわらかな感じがする。宮殿内は日本語のオーディオガイドを聞きながら見て回る。撮影禁止のため写真はないけれど、ハプスブルク家の栄華の跡にため息がでるばかりだ。宮殿を見た後は広大な庭園を散策する。あまりにも広大すぎて全部はまわれないけれど、どこも隅々まで手入れが行き届き本当にきれいだ。そして宮殿裏手の小高い丘の上に立つ「グロリエッテ」まで歩く。1757年、マリア・テレジアが作らせた古代ギリシア様式の巨大なテラスで、ここからの宮殿やウィーン市街の眺めはまた格別だ。丘の頂上にあるベンチに座りしばらくずっと眺め続ける。そして、買ってきておいた「ノルトゼー」のサンドイッチを夕食に食べる。

<↓シェーンブルン宮殿>

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<↓シェーンブルン宮殿の庭園>

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<↓グロリエッテ>

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<↓グロリエッテからウィーン市内を望む>

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午後7時30分から宮殿内の劇場でヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」を観る。劇場は客席200席少々の小さなもので、たった200名あまりの観客のために20人ほどの歌手、30人ほどのオーケストラが演じるという何とも贅沢なオペレッタだ。僕はオペラやオペレッタはまったくの初体験で劇場の華やかでゴージャスな雰囲気にちょっと緊張気味だ。係員の女性が案内してくれた座席は平土間の最後列だけど、劇場そのものが小さいためステージはとてもまじかに見えるし、オーケストラの音もとても近くに聴こえる。「こうもり」はシュトラウスのオペレッタの最高傑作として有名だけど僕はライブ以外でも一度も観たことはない。有名な「序曲」だけは知っているので、暗がりの中で序曲が鳴りはじめたときにはジーンときた。ドイツ語の歌、せりふであるため僕には言葉の意味は理解できない。しかし事前にあらすじは読んできたので細かいことはわからなくても大筋は充分に理解できた。それにそもそもシュトラウスの音楽が素晴らしいので言葉がわからなくても本当に楽しめた。全3幕、途中で1回の休憩をはさんでの3時間はまさに夢のような時間で、ウィーン最後の夜にふさわしい感動のオペレッタ初体験だった。

<↓シェーンブルン宮殿内の劇場>

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ホテルに帰ると11時。明日はウィーンからプラハへの移動のため、荷造りをして1時に寝る。

<本日の歩数:25,872歩>

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2007年7月23日 (月)

中欧旅行記<ウィーン2日目>

7月12日(木) 天気 くもりのち晴れ

昨日は日本からウィーンに到着しただけなので、実質的に今日からウィーン観光のスタートだ。6時に起床、直後にひとつトラブル発生。顔を洗ってひげを剃ろうとしたところ、電気シェーバーがまったく動かない。日本を出発する前日にフル充電しておいたハズなのに。スーツケースに入れていたため、もしかしたら移動中のショックで壊れてしまったのかもしれないし、移動中に電源が入ったままになってしまい電池が消耗してしまったのかもしれない。いずれにせよひげが剃れないことには違いはない。どこかで髭剃りを買うことも考えたが、これも何かのおぼし召しかもと思い、結局、旅行中はひげを剃らないことにした。

ホテルで朝食をとる。コールド・ビュッフェと呼ばれる簡単な朝食で、一応ビュッフェスタイルではあるけれどパンやシリアル、ハムやチーズなどが中心であまり品数は多くない。しかし、今日は歩き回る一日になるのでしっかりとたくさん食べた。さすがにウインナーはおいしかった。7時にホテルを出発した。

<↓ホテルANANASの朝食>

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今回の旅行計画を立てているときからウィーン観光は市立公園からスタートって決めていた。市内中心部に位置する市立公園は、1862年にウィーン初の市立公園としてオープンした英国式庭園で、緑豊かで広々とした憩いの場として市民に親しまれている。僕がそこから観光をスタートさせようと思った理由はただひとつ。それは公園内にあるヴァイオリンを奏でる金色のヨハン・シュトラウス2世像だ。音楽の都ウィーン。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスなど多くの音楽家たちが活躍したウィーン。しかしそんな音楽家たちのほとんどはウィーンに移り住んできた人たちだ。生粋のウィーン生まれ、ウィーン育ちの音楽家といえば、シュトラウス一家とシューベルトくらいだ。そしてウィーンといえばウィンナ・ワルツで、ウィンナ・ワルツといえばヨハン・シュトラウスだ。「最もウィーンらしいもの」、という理由でヨハン・シュトラウス像から観光をスタートさせたのだ。

平日の朝7時過ぎってことで市立公園内には観光客は誰もいない。散歩やジョギングをしている人が何人かいるだけだ。広い公園内をヨハン・シュトラウス像を目指して進む。間もなく目の前にヨハン・シュトラウス像が現れる。朝日を浴びて金色に輝くヨハン・シュトラウス像と感激の対面を果たすと、自分が今、ウィーンに来ているんだという実感がしみじみと湧き上がってくる。クラッシック音楽好きの少年だった頃から一度は訪れてみたいと思っていたウィーン。そのウィーンに僕は今こうして立っているのだ!誰もいないシュトラウス像の前に立って、感慨深くずっと眺め続けた。市立公園内にはシュトラウス像のほかに、フランツ・シューベルト像とアントン・ブルックナー像(彼はウィーン生まれではないけれど)もあった。

<↓ウィーン市立公園>

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<↓ヨハン・シュトラウスⅡ世像>

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<↓フランツ・シューベルト像>

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<↓アントン・ブルックナー像>

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市立公園の次は、その周辺にある音楽家たちの足跡を辿った。コンチェルトハウスにほど近い場所にあるベートーヴェン像。堂々としたその姿を眺めていると、交響曲第3番「英雄」のメロディが胸に去来する。カールスプラッツ(カールス広場)にあるブラームス像。楽友協会の向かい側にあるというのに、その顔は楽友協会を向いているのではなく斜め下を向いているところがいかにもブラームスらしい。日本の天皇陛下がウィーンを訪問した際に宿泊したこともあるホテル「インペリアル」。歴史と伝統のある格式高いホテルだ。そこにはかつてリヒャルト・ワーグナーが滞在していたことがあり、ホテルの壁面にワーグナーのプレートが埋め込まれている。プライド高いワーグナーと格式高いインペリアル・ホテル、いかにもって感じだ。王宮のすぐ隣にある王宮庭園。そこには有名なモーツァルト像がある。ここは観光客も多く、やはりウィーンといえばモーツァルトだ。

<↓ベートーヴェン像>

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<↓ブラームス像>

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<↓ワーグナー・プレート>

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<↓モーツァルト像>

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午前9時、王宮がオープンする時間になるとともに混み合わない時間帯をねらって王宮へ入る。ハプスブルク王家650年間にわたる居城で、帝国の発展とともに増改築が繰り返された広大な宮殿だ。現在は様々な宝物館やミュージアムとして一部が公開されているが、堂々とした建物そのものもそうだし、ミュージアムに展示された膨大な金器、銀器などからもハプスブルク家の栄華と富みがこれでもかっていう感じで迫ってくる。全部をじっくりと見ていたらまる一日はかかりそうなので、早足で見て回る。

<↓王宮>

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昼食はウィーンの名物料理であるウィンナ・シュニッツェルを食べる。ウィンナ・シュニッツェルとは牛肉や豚肉を叩いて薄く引き延ばし、小麦粉、卵、パン粉の衣をつけて油で焼いたウィーン風カツレツのこと。名物料理なのでどこでもメニューに載っているけれど、ウィーンで一番有名なシュニッツェルの店といえば「フィグルミュラー」というレストランだ。人気店でいつも満席とのことなので夜ではなく昼に行くことにした。路地裏にあるその店は昼間でも客が多かったけれど、ちょうど一席空いていたので待つことなく座れた。シュニッツェルとサラダ、ミネラルウォーターを注文する。待つこと10分、目の前に登場したのはフィグルミュラー名物の大きな皿からはみ出すほどの特大シュニッツェルだ。豚肉を見事に薄く引き延ばし油でカラッと揚げている。適度な塩コショウの下味が付けられていて、それにレモン汁を振りかけて食べる。味はとてもおいしい。朝から歩き回っていたためかなりの空腹だったけれど、さすがにこのボリュームは半端じゃない。半分くらいはペロリと片付けたものの、残り半分はかなりキツかった。それでも見た目以上に油っぽくなくて食べやすく、途中ちょっと休みながら何とか完食した。もっともサラダは半分以上残してしまった。

<↓フィグルミュラー>

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<↓シュニッツェル>

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昼食後、オペラ座のガイドツアーが始まるまでの間、オペラ座の周辺を散策する。1713年に建てられたカール教会はウィーンで最も美しいバロック教会といわれている。地下鉄カールスプラッツ駅の駅舎は19世紀の建築家オットー・ワーグナーの代表作で、アール・ヌーボー様式のデザインがとても美しい。ウィーンの街を縦横無尽に走るトラム(路面電車)は小さくて、クラシカルなスタイルが街の雰囲気にとてもマッチしている。800年以上の歴史を誇るシュテファン寺院はゴシック様式の巨大な教会で、1枚の写真の中にその全景を写し込むことができないほどだ。塔の狭い石の階段を最上部まで歩いて登ると、ウィーンの街並みが一望でき、その風景はまさに壮観だ。シュテファン寺院の近くにはモーツァルトがオペラ「フィガロの結婚」を作曲した家がモーツァルトハウスとして公開されている。モーツァルトが住んでいた住居をそのままの状態で見ることができ、ここでモーツァルトが暮らしていたのかと思うと感慨深いものがある。

<↓カール教会>

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<↓地下鉄カールスプラッツ駅>

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<↓トラム>

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<↓シュテファン寺院>

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<↓シュテファン寺院の塔からウィーン市街を望む>

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<↓モーツァルトハウス>

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午後3時からウィーン国立オペラ座のガイドツアーに参加。1869年にオープンしたウィーン国立オペラ座(ウィーン国立歌劇場)は世界3大オペラハウスともいわれる世界最高峰のオペラハウスで、我らが小澤征爾さんが音楽監督を務める音楽の殿堂だ。残念ながら7月、8月はシーズンオフのためオペラ座でのオペラ公演はないので、せめてガイドツアーに参加して内部を見学することに。日本語のガイドツアーもあり、団体客を中心にとてもたくさんの日本人が参加していてびっくりだ。オーストリア人女性が流暢な日本語で案内してくれたオペラ座の内部は本当に豪華絢爛で、こういう場所でオペラを観たいという思いが募る。

<↓オペラ座>

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<↓ガイドツアーでオペラ座内部へ>

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オペラ座を出ると次はベルヴェデーレ宮殿へ。オイゲン公の夏の別荘として建てられた美しい宮殿で、そのうちの上宮といわれる宮殿は現在、オーストリアギャラリーとしてクリムトなどの絵画を展示している。ここを訪れた主目的は僕が好きなクリムトの絵を見るためだ。初期の作品から19世紀末にユーゲントシュティールの旗手として活躍した時期の有名な作品までとても充実したコレクションで、金粉を多用して女性の恍惚感や陶酔感を描いた一連の作品群は19世紀末の爛熟した美を見事に表現していていつまでも見惚れてしまう。作品の写真を撮影することは禁止されていたので、買って帰った絵はがきの写真を掲載します。そして、ベルヴェデーレ宮殿を訪れたもうひとつの目的。それは僕が大好きな作曲家アントン・ブルックナーが最後に住んだ家を訪問するためだ。オーストリアを代表する音楽家としての地位を確立した晩年のブルックナーは、時の皇帝フランツ・ヨーゼフからベルヴェデーレ宮殿の一角に住むことを許され、ここで最期の時を迎えた。上宮のすぐ横にひっそりと建つその建物は豪華な宮殿と比べるとあまりにも質素なもので、宮殿を訪れる多くの観光客から気付かれもしない。

<↓ベルヴェデーレ宮殿>

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<↓ブルックナー晩年の家>

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<↓ブルックナー・プレート>

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ベルヴェデーレ宮殿を見終わるとさすがに疲れたのでいったんホテルへ戻ることに。ホテルでシャワーを浴び、1時間ほど休憩した後、再び王宮へ向かう。午後8時からホーフブルク・オーケストラのコンサートを聴く。プログラムはシュトラウス一家のウィンナワルツやモーツァルトの小品で、観光客向けのコンサートだけどそこはやはりウィーンのオーケストラ、演奏のレベルはきわめて高い。ヨハン・シュトラウスの「皇帝円舞曲」で始まったコンサートは、最後の「美しき青きドナウ」、アンコールの「ラデツキー行進曲」までウィンナワルツの名曲オンパレードで、休憩なしの約2時間はあっと言う間だ。典雅で気品高い本物のウィンナワルツは最高で、大満足のひと時だった。ウィンナワルツは人の心を楽しくハッピーにしてくれる魔法の力を持っている。

<↓夜の王宮>

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<↓ホーフブルク・コンサート>

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コンサートが終わって駅まで歩く道すがら、ウィーンの街の夜景は昼間の風景とはまた違ってとても魅力的だ。シュトラウスのワルツを口ずさみながらホテルへ帰る。朝から晩まで実に盛りだくさんの長い一日だった。疲れた。泥のように眠る。

<↓夜のオペラ座>

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<本日の歩数:34,263歩>

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2007年7月22日 (日)

中欧旅行記<ウィーン1日目>

7月11日から7月19日までの今回の中欧旅行について、今日から連続で旅行記を書いてみようと思います。

まずは7月11日(水)、ウィーン1日目から。

ヨーロッパ旅行も今回で3回目、今までの2回は国内航空会社の直行便での往復だったけれど、今回は少しでも旅行経費を抑えるためKLMオランダ航空のアムステルダム経由便で往復することにした。関西空港からアムステルダムのスキポール空港まで11時間30分、スキポール空港での乗り継ぎが待ち時間を含めて2時間、スキポール空港からウィーンのシュベヒャート空港まで2時間、合計15時間30分の長旅だ。

世界で最も歴史のある航空会社といわれるKLM。伝統のロイヤル・ブルーの機体がとても鮮やかだ。KLMは航空会社の人気投票でもいつも上位にランキングされているけれど、利用するのは今回が初めてなので、どんなフライトになるのかとても楽しみだ。夏休み前の平日ということもあってか機内は1/3くらいの空席がある。通路側席を希望した僕は最初、窓側から3人ともうまった席だったけれど、途中でアテンダントに3人掛け列のひとりしか座っていない席へ移動しませんかとすすめられ、喜んで移動した。乗客の半分以上は日本人。そのほとんどが団体旅行客だ。

<↓ロイヤルブルーの機体が美しいKLM>

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フライト中に映画『300』を見た。ペルシャの大軍にわずか300人で戦いを挑み、全滅してしまったスパルタ軍の物語だ。あまりおもしろい映画ではなかった。映画のほかには読書をしたり、観光ガイドブックを読んだり、何度か居眠りをしたりして過ごした。関西空港を出発して間もなく食事があり、ほうれんそうとトマトのパスタの洋食メニューかカツ丼の和食メニューがチョイスできる。これからしばらく和食を食べられないため迷わず和食メニューを選んだのだけど、「これがカツ丼?」って思ってしまうようなちょっと微妙なカツ丼だった。機内を暗くした後、夜食がサーブされ、カップ・ヌードルかアイスクリームがチョイスできる。お腹が減っていなかったのでアイスクリームを食べた。またアムステルダム到着1時間ほど前にパンを中心にした軽い夕食が出された。そうこうしているうちに11時間30分が過ぎた。思っていたほどには長く感じられず、それほど苦にはならなかった。

で、KLMの機内サービスはというと、正直言って「まっ、こんなもんか」って感じでした。日本人アテンダント2人が日本人乗客の応対にあたったり、機内アナウンスも日本語でも行ったり、食事メニューで和食がチョイスできたりと、日本人向けサービスを頑張っているのはよくわかる。しかし、期待が大きかったからかもしれないが全体的なサービスは「普通」だったように思う。まっしかし、格安の航空券で乗っているのだから「こんなもんか」って納得。

アムステルダムのスキポール空港は非常に大きな空港で、ヨーロッパ有数のハブ空港だ。到着ロビーから乗り継ぎ便ロビーまで移動するだけでもけっこうな距離を移動しなければならない。しかも、シェンゲン協定の関係で、協定加盟国内へ入国する場合はここで入国手続き(パスポート・コントロール)を受けることとなり、そのための時間もかかる。かなり気ぜわしく早足で移動した。もっとも空港内には案内表示が何ヶ所にも設置されていて、それに従って移動すれば迷うことはない。それにしても、オーストリアへ入国するのにアムステルダムでパスポート・コントロールを受けるなんて何だか不思議な感じだ。

スキポール空港からウィーンのシュベヒャート空港まではKLMのプロペラ機でのフライトだ。スキポール空港まではあんなにたくさんいた日本人もこの飛行機にはほとんど乗っていない。みんなどこへ行くのだろう。2時間のフライトはアッと言う間に終わる。

いよいよウィーン到着。予定より30分遅れ、現地時間午後8時15分着だ。入国審査はないため素早く空港を出られた。8時を過ぎているというのにウィーンの空はまだ明るい。日本でいえば6時過ぎぐらいの感じだろうか。明るいうちにとにかくホテルへたどり着かなければ。初めて訪れた知らない都市でホテルへたどり着くのはなかなか苦労することだ。暗くなってしまうとなおさらのこと。空港から市内へのアクセスはいくつかの方法があるが、僕はCATという直通列車で移動することにした。空港から市内のウィーン・ミッテ駅までわずか16分、料金は9ユーロ。

<↓CAT>

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CATに乗れば空港からミッテ駅まではすぐだ。ミッテ駅で72時間地下鉄やトラム、バスに乗り放題の72時間フリーパスを購入。地下鉄に乗り換えてホテルまで4駅。のはずだった。。。しかしミッテ駅で地下鉄に乗り換えようとしたのだけど乗り場がよくわからない。「たぶんこれだ」って思う電車に乗ったのだけど、次の駅名が思ってたのとどうも違う。次の駅ですぐに電車を飛び降り、とりあえず来たのと反対側の電車に乗ってミッテ駅に戻ることにした。どうやら僕は地下鉄ではなくSバーンという快速電車に間違えて乗ってしまったようだ。

反対側の電車に乗るために大きなスーツケースを担いで階段を上り下りしていると「すいませーん、日本の方ですよね?」って声をかけられた。声の方を見ると20代半ばとおぼしき2人組の日本人女性だった。彼女たちも迷ってしまったらしい。団体ツアーでプラハからウィーンへ今夜バス移動してきた彼女たちは、有名なザッハー・トルテを食べに行こうとしていて迷ってしまったとのこと。空港でもらったシティ・マップで調べると、彼女たちが目指しているカールスプラッツ駅は僕が目指している駅の2つ手前の駅だ。「僕もミッテ駅で電車に乗り間違えてここに来てしまったのだけど、ミッテ駅まで戻って地下鉄4号線に乗り換えればカールスプラッツ駅へはすぐだ」って説明すると、「さっき、地元の人に聞いたら、D線に乗ればいいって言われたんだけど」とのこと。「D線と言えば地下鉄ではなく、トラム(路面電車)のことですよ」と僕。シティ・マップで見ると確かにトラムだと乗り換えなしでカールスプラッツ駅へ行けそうだ。「カールスプラッツまでいっしょにトラムで行きましょうよ」と彼女たちに言われ、そうすることにした。「よかった!知らない街で夜だし、女性ふたりはちょっと心配だったんですよね」っと彼女たちは笑顔で言う。

トラムに乗っている間、彼女たちといろんな話をした。彼女たちは日本からプラハへ入り、プラハからウィーンへ、そしてウィーンからブダペストへ移動するそうだ。僕は今日、ウィーンへ入り、この後、プラハ、ブダペストへ移動することを話すと、「プラハはとってもきれいで本当に良かったですよ」とおしえてくれた。そのうちカールスプラッツに到着しトラムを降りる。10時を過ぎて空はすっかり暗くなっている。彼女たちはホテル・ザッハーに向かい、僕は地下鉄カールスプラッツ駅へ向かう。別れ際、「またブダペストで会えるといいですね」と彼女たち、「楽しい旅行を」と僕。

ホテル「ANANAS(アナナス)」は地下鉄ピルグラムガッセ駅を出た目の前だ。予定よりも1時間以上遅れ10時30分にチェックイン。右も左もわからない外国の街で、こうして地下鉄駅の目の前にあるホテルというのは非常にありがたい。130室を有する大きなホテルだけど、サービスもまずまずだし、ツインルームのシングルユースをさせてもらい部屋もゆったりとしている。場所も市内中心部だし、1泊約10,000円という料金の割には大満足のホテルだった。ここに3泊した。

<↓ホテルANANAS(アナナス)>

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出発前の計画ではチェックインし、荷物を解いた後、市内中心部へ出かける予定だったけれど、迷ってしまい時間が遅くなってしまったし、少々疲れ気味だったので、そのままホテルに留まり早めに眠ることにした。

<本日の歩数:10,173歩>

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