旅行・地域

2020年8月29日 (土)

Go to travel で IBUKU へ

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妻とふたり、Go to travelで広島県の温泉宿「IBUKU」へ。

広くてきれいな部屋に個室露天風呂。

豪勢でおいしい日本食の夕食と朝食。

ゆったりと贅沢な夢のような時間を過ごしてきました。

 

 

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2013年5月25日 (土)

しらすパーク

今日は家族3人で、以前から一度行ってみたいと思っていた、伊方町にある「しらすパーク」へ行ってきた。

愛媛県の西の端、佐田岬半島のほぼ真ん中あたりに位置する伊方町川之浜というところにある「しらすパーク」。メロディラインを通って八幡浜から1時間弱。途中でメロディラインを南側に下り、宇和海沿いの道を10分あまりくねくねと進むと到着。

↓こんなところにあります

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「しらすパーク」は、朝日共販という会社が営業している施設で、佐田岬周辺の宇和海で獲れたばかりのしらすを、自社工場で加工し、工場直販店や食堂で販売している。

↓しらすパーク

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さっそく中に入ってみると、1階は直販店。しらすやちりめんなど、水産加工品が売られている。

2階が「しらす食堂」。「しらすパーク」に来たいと思っていたのは、ここのしらす丼を食べてみたかったからなのだ。

↓2階にしらす食堂

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3人で、「生しらす丼(700円也)」、「生しらすと釜あげしらすの2色丼(800円也)」、そして期間限定の「山芋しらす丼(650円也)」を食べてみた。

↓生しらす丼、ここでしか味わえない新鮮なおいしさ

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↓山芋いらす丼、釜あげしらす丼に山芋と梅がトッピング

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今日はちょうど、いわしがたくさん獲れたのでって、いわしのてんぷらをサービスで付けてもらった。ラッキー☆

で、しらす丼。僕は、生しらすと釜あげしらすを両方味わうために2色丼を食べたのだけど、これが非常にうまい!!

↓生しらすと釜あげの2色丼、生と釜あげの両方が食べ比べられる贅沢丼

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まず生しらす。ポン酢をかけて食べるが、新鮮なさかなのおいしさそのものを味わう感じで何とも美味。獲れ獲れピチピチのおいしさは、やはりここならではの味わいだ。

そして、釜あげしらす。特製のしょうゆだれをかけて食べるが、これがまた生しらすとは違ったシンプルかつ奥深いおいしさ。生しらすに比べると、歯ごたえもあるし、しっかりとした味もあるので、僕は釜あげしらすの方がお気に入りだ。

また、サービスでいただいたいわしの天ぷらがこれまたうまい!メニューにあれば追加注文したいくらいだ。

その後、1階で受付をして、3階の工場見学をさせていただいた。目の前の宇和海で獲ってきたばかりのしらすが、釜あげしらすやちりめんに加工されていく工程が見学できておもしろかった。受付で、ちりめんのおみやげまでいただいてラッキー☆☆

↓工場見学をすると、ちりめんのおみやげが

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最後、1階の直販店で、釜あげしらすやちりめんを買ってかえった。また、「しらすアイス」もあったので食べてみたが、これもso good!

「しらすパーク」と「しらす丼」、大満足の一日だったのだ。

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2012年6月11日 (月)

東洋のマチュピチュ

昨日の続きで、先日の西赤石登山の際、帰りに訪れた東平(とうなる)の近代化遺産について。

今さらながらって気もするけれど、実は僕が東平を訪れたのは今回が初めて。数年前から東洋のマチュピチュと呼ばれ、多くの人々が訪れていると聞いていたけれど、初めて訪れてみると、なかなか素晴らしい遺産だった。

そんな近代化遺産の中で僕がもっとも感激したのは、第三変電所だ。

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1904年(明治37年)に完成した赤レンガ造りの建物で、第三通洞の坑内電車に電気を供給するため、水力発電した電気を直流に変電していたということだ。1965年(昭和40年)まで使用されていたそうで、現在もほぼ完全な外観を保っていて、内部の保存状態もまずまずだ。

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100年以上も前の近代化遺産の内部に立ち入ることができるというのは非常に貴重な体験で、往時の人々の営みが偲ばれた。

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ただちょっと残念だったことは、内部に自由に出入りできるということで、落書きがされていたり、少々荒れていたりしたことで、人類の貴重な近代化遺産なのだから、立ち入る人たちのモラル向上に期待したい。

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2012年6月10日 (日)

雲の上の道

昨日の西赤石山登山、下山ルートは兜岩経由で上部鉄道跡を通り、東平に降りてくるコースを歩いた。東平コースからの登山自体が初めてだったので、下山コースも初めて歩くコースだったのだけど、100年以上も前の別子銅山の遺跡に触れ、往時を思いをはせながら歩くことのできる非常におもしろいコースだった。

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【上部鉄道跡】

そんな中で、僕がもっとも興味を引かれ歴史ロマンを掻き立てられたのは上部鉄道跡だった。

上部鉄道は1893年(明治26年)8月に完成し、角石原停車場(標高1100m)と石ヶ山丈停車場(標高835m)を結ぶ延長5532mの日本初の山岳鉄道だ。別子銅山で採掘された銅鉱石を精錬所や港湾に運び出すために敷設された。ドイツ製の蒸気機関車が時速8kmで走っていたそうだ。

1911年(明治44年)、第三通洞が開通し、銅鉱石が採掘場から山の上に運び上げることなく、直接地下トンネルを通って運び出されるようになるに伴い、同年10月に廃止された。運行期間はわずかに18年間ということになる。

廃止されてからでも既に100年以上が過ぎた現在は、上部鉄道の施設や設備は何も残っていない。しかし、100年後の今日でも、かつてそこにあった上部鉄道に思いをはせることができる遺産はしっかりと残っている。

それが上部鉄道跡と呼ばれる幅5m足らずの平坦な道なのだ。現在は、赤石山系の登山道としても使われている。かつてはここに線路が敷設され、銅鉱石を積んだ蒸気機関車が走っていたが、今は線路の影も形も残っていない。

↓上部鉄道跡 現在は平坦な道になっている

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この上部鉄道跡を歩いていくと、谷川を渡る鉄橋跡が何箇所かある。現在、もちろん線路はないが、鉄橋の基部はしっかりと残っていて、石積みや煉瓦積みを見ることができる。急峻な山岳地の急流にかかる鉄橋基部が、100年以上手入れされることなく放置されてきたにもかかわらず、今もこうして現存していることを考えれば、当時の技術力の高さに驚かずにはいられない。

↓鉄橋跡の基部

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しかし、僕がもっともスゴイと思ったのは、何といっても今歩いている上部鉄道跡の平坦な道そのものだ。登山道として歩くと、平坦すぎて物足りなく感じるくらいかもしれない。しかし、ここは標高1000mの高地であり、急峻な山岳地の中腹なのだ。自然にできた平坦地ではない。尾根道でもない。山の中腹に、等高線に沿ってほぼ平坦になるように人間が切り拓いた道なのだ。

↓岩盤を切り拓いた道

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岩盤を切り拓いただけでは平坦な道にはならない。道の谷側から基礎となる石積みを積み上げ、そこに平坦な道を作り、土石が崩落しないよう、山側にも山留めの石を積む。考えただけで気が遠くなる。しかも標高1000mの山中で、ほとんど人力で、5kmを越える長さを、わずか1年3ヶ月で完成させたと思うと、これはもう驚愕するしかない。

↓平坦な道を下から支える石積み

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↓山側には山留めの石積み

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↓平坦で快適に歩けるこんな山道も

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↓下から支える石積みがあればこそ

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日本が近代化をめざした明治時代。明治日本の近代化の先頭に立った英傑が『坂の上の雲』に描かれた人々だとすれば、この上部鉄道跡には、日本の近代化を支え、歯車となって日本を前へ前へと推し進めた多くの名もなき人々が携わっていた。彼らの努力と尽力を思うと、胸が熱くなる。

上部鉄道跡、それは東平から急坂を登ったところにある「坂の上の道」。「坂の上の雲」のさらに上にある、まさに「雲の上の道」なのだ。

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2010年8月16日 (月)

掩体壕(えんたいごう)

昨日、8月15日は65回目の終戦記念日だった。

そこで、今日は近所にある戦争遺跡、掩体壕(えんたいごう)を見に行ってきた。

松山空港の近くにある掩体壕は、戦時中、現松山空港にあった日本海軍松山航空基地の戦闘機や偵察機を敵機の攻撃から守るために造られた鉄筋コンクリート製の格納庫だ。当時は60を越える掩体壕が建設されていたというが、現存しているのは3基だけとなっている。

今日はそのうち2基を見てきた。

まずは、内部まで見ることができる掩体壕。田んぼの中にあり、後方には住宅が建っている。垂直尾翼のある飛行機がそのまま入れるように入口が逆T字型になっている。大きさは横幅は15メートル、奥行きが12、3メートルほど。大きさや形状から、松山航空基地に配属されていた局地戦闘機紫電改が格納されていたんじゃないだろうか。

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もう一基は、県道からもっとも見つけやすい掩体壕。畑の中にあり、入口には扉が造られ現在は倉庫として使われているようだ。形は先ほどの掩体壕と同じようだが、大きさはこちらの方がやや小型のようだ。

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掩体壕が造られたのは、日本軍の形勢が不利になり、本土決戦が叫ばれるようになった昭和20年(1945年)頃と言われており、65年の時を生きながらえてきたまさに戦争の生き証人だ。

外見だけでも劣化が進んでいるのは明らかで、今後、貴重な戦争遺跡として、何らかのかたちで後世まで保存できればいいのにと思う。

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2009年6月15日 (月)

水荷浦の段畑

昨日(6/14)、宇和島市遊子(ゆす)の水荷浦の段畑(みずがうらのだんばた)を見に行ってきました。「耕して天に至る」と言われた段畑の歴史的景観と、昔の人々の営為に驚嘆するばかりだった。

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水荷浦は宇和島市の三浦半島の先端部分に位置する小さな漁村で、江戸時代末から明治時代初期にかけて南予地方で数多く見られた段々畑の姿を、現在まで唯一残している地域だ。平成19年度には全国に4箇所しかない重要文化的景観に選定された。

宇和島市内から県道を走って30分ほどで、遊子地区に到着。まずは段畑の対岸に位置する「魚見の丘」に登って段畑の全容を眺める。青い宇和海と青い空、その間のわずかの土地に延々と積み上げられた段畑が見える。遠景で見ても圧巻だ。

<↓魚見の丘から段畑の全容を望む>

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<↓魚見の丘から段畑のズーム>

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<↓左:魚見の丘の塔、右:「耕して天に至る」の標識>

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魚見の丘を過ぎて、いよいよ段畑の真下へ。広場に駐車し、まずは4月にオープンしたばかりのレストラン「だんだん茶屋」で昼食を食べることに。12時前だというのに店内はお客さんでいっぱい。残念なことに「だんだん茶屋」の名物「アジの遊子丼」は、僕たちのちょうど前の組の人たちで売り切れてしまった。お店の人の話だと、「アジの遊子丼」は人気メニューなので11時過ぎにはいつも売り切れてしまうとのこと。お目当てが売切れてしまったので、僕は「男爵御前」(650円)、僕の奥さんと息子は「昼御前」(500円)を食べた。「昼御前」は日替わりで、日曜日は「鯛カマの煮付け」だった。どちらもおいしかった。特に男爵芋はここの段畑で採ったもので、人気メニューだそうだ。

<↓左:駐車場から段畑を見上げる、右:レストラン「だんだん茶屋」>

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<↓「男爵御前」、やわらかくふかした男爵芋が甘くておいしかった>

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<↓「昼御前」、日曜日は「鯛カマの煮付け」、おいしかったそうだ>

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昼食後、段畑を登ってみる。畑の間に作業道があり、そこを歩いて頂上まで登っていく。まじかに見る段畑の景観には本当に圧倒されてしまう。青い宇和海に面した段畑の景色はとても美しい。

<↓段畑の間の道を登って行く>

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<↓左:石積みと石で作った階段、右:ところどころ男爵芋が植えられていた>

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<↓整然と並んだ段畑>

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<↓青くて美しい宇和海に面する段畑>

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<↓だいぶん登ってきました>

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<↓頂上から宇和海を見下ろす、一面の養殖いかだ>

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<↓下から見上げる段畑の石積みは圧巻>

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<↓まさに「耕して天に至る」>

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<↓青空とどこまでも続く石積み>

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「耕して天に至る」。水荷浦の段畑は本当にすごい景観だ。先人たちがまさに「生きるため」に、エジプトのピラミッドや中国の万里の長城にも匹敵するくらい、気の遠くなるような莫大な時間と労力を費やして、すべて手作業で急斜面に段畑を拓き、石を積み上げていったんだと考えると、驚嘆せずにはいられない。

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2009年3月28日 (土)

石畳地区の枝垂桜

内子町石畳地区にある町指定天然記念物「東の枝垂桜」が満開になっていると聞いたので、LUMIX G1片手に僕の奥さんとふたりで見に行ってきました。天気は曇り、ちょっと肌寒かったけれど、石畳地区にはたくさんの人たちが訪れていた。

東の枝垂桜を見るのは初めてだったけれど、大きな桜の老木はかなり弱ってきている様子で、見に来ていた人の話しでは、昨年に比べると花の量がかなり少なくなっているとのことだ。でも、小ぶりの桜花が枝垂れた姿は、なかなか見応えがあった。

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枝垂桜を見た後は、弓削神社前の「屋根付き橋」まで歩いて見に行った。こちらもたくさんの人が来ていたが、水面に映る屋根付き橋が優雅な曲線を描いていた。

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弓削神社の枝垂桜もちょうど満開で、こちらの方が樹齢が若いだけに、元気良くたくさんの桜花を咲かせていた。

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そして最後に、水車小屋を見に行った。のどかな農山村の景色は、日本の原風景を思い起こさせる。

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松山からわずか1時間ほど。石畳地区は、僕たちを時間に追われている日常からしばし解き放ってくれる。そんな魅力が石畳地区にはあるのだ。

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2008年2月11日 (月)

内子町石畳地区

昨日、牛ノ峯登山に行った際、登り口である内子町の石畳地区がとても美しい山村の景観を残していたので、今日はその石畳地区について書こうと思う。

石畳地区は内子町の市街地から北へ約12kmほど入った山間の集落で、日本の山村集落の原風景ともいうべき景観を今もそのまま残している。牛ノ峯から流れる清流「麓川」の美しい流れ。地元の有志によって復元された水車小屋。昔ながらの棚田などなど、山村の美しい景色に思わず見とれてしまう。何となく「ホッと」した気分になれるような雰囲気のある場所なのだ。

この石畳地区は地元の有志が集まり「石畳を思う会」を結成、農山村の歴史や文化、環境にこだわった独自のむらづくり活動を行っているとのことで、最近流行のグリーン・ツーリズムにも取り組んでいる。水車や清流を眺めながら休憩できる石畳清流園を整備したり、築後90年ほどの農家を改築した宿泊施設「石畳の宿」も運営している。僕が登山の後で、石畳清流園でコーヒーを飲んでいたら若い二人組みの女性が歩いてきた。石畳の宿への宿泊客とのことだった。こんな静かで美しい山村の中で宿泊するのもとても良さそうだ。

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そしてもう一箇所、屋根付き橋のあることで有名な弓削神社へ。14世紀に建てられたという弓削神社は、境内全体が町の景勝地と言われるようにとても風情のある神社だ。社殿をとりまくように池があり、池の中央部から社殿に向かって屋根付き橋が架けられ参道になっている。栗の木で造られたその橋はゆるやかなカーブを描き、太鼓橋と呼ばれている。水面に映った姿とともに、とても優雅で風情のある景色を堪能できた。なお、内子町には屋根付き橋が4つあるそうだ。

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内子町石畳地区。日本の原風景が残る、とても静かで美しい魅力的な場所だ。今度は、この石畳地区を楽しむために来てみようと思う。

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2008年1月 6日 (日)

伊予鉄道 三津駅

勝手に名付けた「近所の近代建築物を訪ねるシリーズ」。今回は、伊予鉄道高浜線の三津駅を訪問した。

伊予鉄道高浜線は、愛媛県松山市の高浜駅と松山市駅を結ぶ路線距離9.4kmの鉄道路線で、四国初の鉄道路線として1888年(明治21年)に開業した。開業当初の営業区間は松山の古くからの外港である三津までで、三津駅は開業当時の終着駅で、名前も三津浜駅であったという。夏目漱石の小説『坊ちゃん』のなかで、四国に到着した坊ちゃんは、この三津浜駅から「マッチ箱のような列車」に乗り、松山市街に向かったと書かれている。このように、三津駅は同じ伊予鉄道の松山市駅や古町駅とともに、四国で最初の鉄道駅のひとつとして長い歴史を有している。

そして、三津駅の駅舎は、レトロな洋風木造駅舎として知られている。建築年は不詳だが、昭和初期の建築とされ、一説では1931年(昭和6年)頃に高浜線が全線電化・複線化された当時の建築とも言われている。いずれにせよ、築後70年以上が経過した歴史のある建造物だ。

その最大の特徴は、建築当時としては非常にユニークでモダンな洋風の建築様式をとっていることだ。特に、駅舎正面のファサードに取り入れられた美しい優雅な曲線は、19世紀末、ヨーロッパで一世を風靡したアール・ヌーヴォー様式によるもので、三津駅舎の象徴となっている。長い時間の経過によって駅舎の外観はずいぶん古く、いたみも激しいが、先取精神に満ちたそのデザインは、モダンでレトロな雰囲気が漂い、現代においてもとても魅力的なものだ。

このような魅力的な三津駅舎も、老朽化や耐震性の問題から、現在、改築計画が進められているという。「現駅舎のイメージを残して改築」という方向で進められているとのことだけど、地域の歴史・文化の優れた財産であるということを充分に認識したうえで、それをうまく未来へと引き継いでいってもらいたいと思う。

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