読書2013年

2013年12月30日 (月)

『新約聖書を知っていますか』 / 阿刀田高 著

阿刀田高の『新約聖書を知っていますか』(新潮社文庫)を読んだ。

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永遠のベストセラー「新約聖書」について、わかりやすく噛み砕いて論じたエッセーで、キリスト教徒でもなく、聖書の知識もない僕でもスラスラと読めておもしろかった。

阿刀田高さんの作品を読むのはこれが初めてだったけど、ミステリー作家らしく新約聖書の真相に迫る語り口に思わず引き込まれてしまった。

僕自身、聖書は読んだことないのだけれど、このエッセーを読むと、新約聖書に書かれていることのアウトラインみたいなものは何となく理解できた。そういう意味では、新約聖書の格好の入門書と言える。

しかし、新約聖書についてここまでわかりやすく噛み砕くためには、作者の阿刀田さんは新約聖書について相当に調べ上げ、深く理解しているはずだ。軽いエッセーではあるけれど、非常な労作なんだと思う。

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2013年12月10日 (火)

『四色問題』 / ロビン・ウィルソン著 茂木健一郎訳

ロビン・ウィルソン著、茂木健一郎訳の『四色問題』(新潮文庫)を読んだ。

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「四色問題」という、純粋数学の問題をテーマとした本だけど、とても刺激的でおもしろい一冊だった。

「四色問題」とは、「四色あれば、どんな地図でも隣り合う国々が違う色になるように塗り分けることができるのか?」という問いだ。別の言い方をすれば、「地図上の隣り合う国々を違う色で塗り分けるためには、最低何色が必要か?」と言うこともできる。

そして、「四色問題を解く」ということは、「どんな地図でも四色あれば塗り分けることができる」ということを示す(証明)することだ。

一見単純で簡単なように思えるこの四色問題だけど、フランシス・ガスリーという人が1852年に四色問題を提起して以来、ヴォルフガング・ハーケンとケネス・アッペルの二人が1976年に問題を解くまで、実に120年以上もの長い年月を要した数学史上の難問だったのだ。

本書では、四色問題の提起から始まり、1世紀を越える期間に多くの数学者たちが四色問題に挑戦し、敗れていく歴史が描かれる。

そして、この難問を解くためのキーとなるC可約、D可約、不可避集合、放電法といった概念が次々に登場してくる。本書では、そうした概念をわかりやすく説明してくれているが、数学音痴の僕には残念ながらそうした概念を理解することはできない。何となく、こういうことを言っているんだろうと、わかったつもりになるのが関の山だ。それでも、それなりに楽しみながら読み進んでいくことができるってところが、本書の優れたところだ。

そして、ついにハーケンとアッペルによって四色問題は解かれる(証明される)ことになるが、その証明方法は、コンピュータに1000時間以上も計算させるというものであった。

コンピュータを駆使しての証明は人間が直接チェックすることができない証明であるため、「あんな解は数学ではない」とか、「美しい数学」や「エレガントな数学」と呼ぶことはできないといった多くの批判的意見が出された。

つまりは、四色問題の解決は、「そもそも数学の証明とは何か」という新たな次元の哲学的問題を生み出すことになった。本書の最終章では、こうした後日談が紹介されているが、僕にはこの「新たな問題」の方がよりおもしろく、興味深く感じられた。

本書を読んでも僕には四色問題の解を理解することはできない。しかし、数学というものの純粋さ、絶対性、永遠性、奥深さというようなものは非常によく理解できる。それが本書を読むおもしろさだと僕は思う。

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2013年12月 1日 (日)

『経済思想の巨人たち』 / 竹内靖雄 著

竹内靖雄著『経済思想の巨人たち』(新潮文庫)を読んだ。

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アダム・スミス、リカード、マルクス、ケインズ、シュンペーター、フリードマン、まさにそうそうたる面々。古今東西、経済思想史上の巨人36人について、その人物像や人生、そして経済思想の核心が、非常にわかりやすくコンパクトにまとめられた良書だ。

特に、経済思想や経済理論について、とても平易かつ明快に述べられていて、読みながら知的好奇心がいい刺激を受けて、とてもおもしろかった。

ちょっと意外なことには、本書で扱う巨人たちには、ヘシオドス、プラトン、アリストテレスといった古代ギリシアの哲学者、歴史家から始まり、管子や司馬遷、石田梅岩や安藤昌益、福沢諭吉といった中国や日本の歴史家、学者も含まれていて、いわゆる経済学史よりももっと広範囲を対象としている。

読みながら、「あれっ、この人って経済学者だったっけ?」と思うこともしばしばあったけれど、要は人間が生きていくことはすなわち経済活動であり、その人間について考察すれば経済学に他ならないってことじゃないだろうか。

いずれにせよ、自然科学のように絶対的な正解がないのが経済学。そんな中で、百花繚乱に繰り広げられるさまざまな理論や分析や予言。久しぶりに経済学のおもしろさを味わった一冊だった。

で、そういえば僕は経済学士だったのだった。

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2013年11月10日 (日)

『聖職の碑』 / 新田次郎 著

新田次郎の『聖職の碑』(講談社文庫)を読んだ。

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大正2年(1913年)8月26日、長野県の木曽駒ケ岳へ修学旅行として集団登山していた地元の小学生たちが突如の暴風雨に見舞われ、37名中、11名の命が失われた遭難事故を題材とした新田次郎の山岳小説で、テーマといい、作品の構成といい、非常に重厚で、読み応えがあった。

中央アルプスの木曽駒ヶ岳といえば、つい先月の3連休で、僕が登山へ行った山であり、そのときに僕が実際に歩いた場所が小説にも描かれていて、とても興味深く、一気に読破した。

今からちょうど100年前、僕が1ヶ月ほど前に歩いたまさにあの場所で、多くの子供たちの命が失われたと思うと、非常に感慨深いものがある。

↓悲惨な遭難事故の現場となった稜線(2013年10月13日撮影)

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『聖職の碑』ではまず、事故発生当時の信濃教育界の様相が描かれる。もともと教育熱心だった長野県下に白樺派の理想主義教育が浸透し始めた時代。新田次郎はそうした時代背景を丁寧に描いていて、読みながら、これがいったい遭難事故とどうつながっていくのだろうと思ったが、その答えは、すべてを読み終えたときにわかった。

そして、作品のクライマックスともいうべき、木曽駒ヶ岳での凄惨な遭難事故が描かれるが、新田次郎による迫真の描写はまさに圧巻だ。

そしてそして、悲惨な事故から2か月後、現場には「遭難記念碑」が設置される。遭難慰霊碑ではなく、遭難記念碑だ。なぜに記念碑なのか、どういう意図で設置されたのか、いったい誰がどのようにして設置に向けて働きかけたのか。遭難事故の後日譚が描かれて作品は終わる。

読み終わった後に、心にずっしりと残る重量級の名作だ。

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2013年11月 5日 (火)

『ハプスブルク一千年』 / 中丸 明 著

中丸明 著の『ハプスブルク一千年』(新潮文庫)を読んだ。

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僕は中世ヨーロッパの歴史に興味があり、以前、オーストリアに旅行した際、中世ヨーロッパを支配したハプスブルク家一千年の歴史についてはいろいろ勉強したものだ。

本書は、神聖ローマ帝国皇帝として、中世から近世のヨーロッパ世界に君臨したハプスブルク家の歴史について、おもしろおかしく述べた講談調の歴史書だ。

ところで、中世ヨーロッパの歴史を概観したときに、神聖ローマ帝国というものはよくわからない存在だ。ドイツ人の帝国なのになぜローマ帝国なのか?なぜ神聖なのか?ハプスブルク帝国と神聖ローマ帝国は同じものなのか?などなど、はっきりとよくわからないことが多いのだ。

この『ハプスブルク一千年』は、文字通りハプスブルク家の一千年の歴史を概観したものなので、本書を読むことで僕が持っていたいくつかの謎の解明につながったが、それでもなお、神聖ローマ帝国というものは一体何なのか?実体がよくつかめない。

神聖ローマ帝国とは何だったのか?結局のところ、本書に何度も引用されているヴォルテールの言葉、「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」という言葉が、神聖ローマ帝国についてもっともわかりやすいものだと思う。

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2013年9月18日 (水)

『歓声から遠く離れて』 / 中村 計 著

極上のスポーツ・ノンフィクションだ。

中村計の『歓声から遠く離れて』(新潮文庫)を読んだ。

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中村計のスポーツノンフィクションは、これまで『甲子園が割れた日』、『佐賀北の夏』の2冊を読んでいて、どちらも実におもしろい作品だったので、新刊で『歓声から遠く離れて』が出るとすぐに買って、楽しみにしながら読んだのだけど、今回も期待を裏切らないおもしろさだった。

「悲運のアスリートたち」というサブタイトルが付けられた本作品は、会員制情報誌「選択」に連載中の「悲運の名選手たち」の中から選ばれた5編をベースにした作品だ。

サブタイトルのとおり、一時は脚光を浴びたにもかかわらず、その後、表舞台から消えていったアスリート5人の人生にフォーカスし、スポーツ選手の陰を描写した異色のスポーツ・ノンフィクション作品だ。

インタビューを通じてアスリートの考え方、生き様に鋭く切り込んでいき、アスリートの気持ちの揺れや息遣いまで鮮明に描き上げる中村計の手腕にはいつもながら感心させられる。その人の人生に対する深い洞察もまたしかり。

彼によって描かれたスポーツ選手たちの姿、生き方に僕は共感し、人生について考えさせられるのだ。そんなところに、『歓声から遠く離れて』のおもしろさがある。

是非とも続編も出してもらいたい。

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2013年9月10日 (火)

『ガダルカナル』 / 五味川純平 著

毎年8月の終戦記念日の前後には、太平洋戦争関係の本を読むことにしている。

今年は、五味川純平著の『ガダルカナル』を読んだ。

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ガダルカナルといえば、太平洋戦争において日本軍がもっとも悲惨な惨敗をした島として知ってはいたが、今回、この『ガダルカナル』を読んで、言葉では言い表せないほどに悲惨な真実を知ることができた。

楽観的予測に基づいた無謀な作戦、遅すぎた決断、失敗を次回に生かさない愚かさ、などなどガダルカナルは、まさに太平洋戦争における日本軍の欠陥が凝縮されたような戦いだった。

まったくもっておそまつとしか言いようがない。しかし、おそまつでは決して済まされない。そこでは多数の若者の命が失われていったのだから。読んでいるうちに僕の心の中にメラメラと沸き起こった想いは、そういうことだった。

著者の五味川純平は、日米両国の膨大な戦史記録を丹念に調査し、ガダルカナルから奇跡的に生還した元兵士たちから貴重な証言を得て、ガダルカナルにおける半年余りに及ぶ戦いを克明に描ききっている。

『ガダルカナル』は重厚長大な戦史ノンフィクションであるとともに、太平洋の孤島に散った多くの兵士たちへのレクイエムなのだ。

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2013年8月 2日 (金)

『狼は帰らず』 / 佐瀬稔 著

世界的アルピニスト森田勝の生涯を描いた佐瀬稔の山岳ノンフィクション『狼は帰らず』(ヤマケイ文庫)を読んだ。

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悲運のクライマー森田稔の強烈な生き様に改めて胸を打たれる思いだ。

森田稔というクライマーのことは、これまでも何冊かの本を読んでいたし、夢枕獏の『神々の山嶺』にも彼をモデルにした人物が登場するので、知ってはいた。しかし、今回、彼の半生記ともいうべき『狼は帰らず』を読んで、より彼のことがわかったような気がする。

いや、正確にいえば、彼のこと、彼の考え、彼の価値観は僕にはわからない。僕自身には理解が及ばない。

僕には理解が及ばないような価値観によって彼が生きたということがわかったということだ。

「真実は岩壁を攀じ登るという行動の中にしかなかった」と述べる佐瀬氏の言葉が森田稔の人生そのものを表現しているように思う。

1979年、グランドジョラス北壁冬季単独登攀を目指すが墜落。重症を負いながらも九死に一生を得た森田勝は、翌1980年、再びグランドジョラスに挑み、帰らぬ人となった。

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2013年7月 6日 (土)

『マッターホルン北壁』 / 小西政継 著

1967年2月、当時無名の日本人アルピニスト3人が厳冬期のマッターホルン北壁登頂に成功した。日本人では初、世界でも第3登の快挙だった。

『マッターホルン北壁』は、そのパーティのリーダーであり、後に世界的アルピニストとして名をはせる小西政継によるマッターホルン北壁の厳冬期登攀の記録である。

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著者はまず、世界三大北壁のひとつ、マッターホルン北壁に挑んでいった多くの登山家たちの闘いの歴史から筆を起こす。

そして、小西政継というクライマーがいかにして登山に憧れるようになり、マッターホルン北壁に挑むようになったが述べられる。

そしていよいよ、本書の核心部分である、マッターホルン北壁との死闘が描かれる。

この厳冬期マッターホルン北壁登頂が、僕たちの想像を絶するほど過酷なものであり、その成功が、いかに大きな快挙であり、輝かしいものであるか。こうした点については、今さらここで言うことはない。

僕が絶賛したいのは、この『マッターホルン北壁』を著した小西政継というクライマーの文才であり、ひとりの登山家、いやひとりの人間としての素晴らしさについてなのだ。

小西政継が日本を代表する優れた登山家であったのは間違いない。と同時に、素晴らしい才能を持った優れた文筆家であったことも間違いないだろう。本書の見事な構成には、読んでいてわくわくさせられる。そして、彼の記述、描写は実に切れが良くて生き生きとしている。

そして、それ以上にスゴイと感じるのは、小西政継の人間性だ。彼の言葉には、深い省察があり、内省があり、自己抑制がきいている。当時29歳の若造の著した著書とは信じられないくらいの深みが感じられる。

そんな小西政継は、次のような素晴らしい言葉を記している。

「山とは金では絶対に買うことのできない偉大な体験と、一人の筋金入りの素晴らしい人間を作るところだ。未知なる山との厳しい試練の積み重ねの中で、人間は勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛えあげてゆくのである。登山とは、ただこれだけで僕には充分である。」

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2013年5月 1日 (水)

『大英帝国衰亡史』 / 中西輝政 著

中西輝政の歴史評論『大英帝国衰亡史』(PHP文庫)を読んだ。

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もう何年も前に書店で見かけ、イギリス大好き人間の僕としては、そのタイトルにひかれて買ったものの、その後、ずっと手に取ることがなかったのだけど、今回、ようやく読んでみた。

本書は、そのタイトルが示すとおり、かつて人類史上最大の領土を誇るほどの隆盛を極めた大英帝国が、いかにして大国の主役の座を降りるに至ったか、その衰亡のプロセスを克明に描いている。

ローマ帝国しかり、大英帝国しかり、人類史上、多くの帝国が興隆し、やがて衰亡していったが、その衰亡の歴史はなぜか、僕の心に強く訴えかけてくるものがあって、個人的には非常に興味深い。

それはもしかしたら、僕たち東洋人の根底に流れる無常観であったり、盛者必衰の世界観が刺激されるからかもしれない。

中西輝政氏は『大英帝国衰亡史』において、ことさら無常観を強調しているわけではない。むしろ、科学的、客観的に大英帝国の衰亡原因やプロセスを述べている。

それがなかなか興味深くておもしろい。

ただし、そもそもイギリスという国の歴史(通史)についてある程度知っていることを前提に、その衰亡について書かれているため、イギリスの歴史についてそれほど知識を持っていない者からすれば、ちょっとわかりづらいところもあった。

かつての大英帝国から今や欧州の小国になってしまったイギリス。しかし、そのオリジナルティあふれる魅力は、今日もなお世界的に見ても際立っていると僕は思う。この本を読んで、またイギリスに行ってみたくなったのだ。

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